世界を震撼させた、チェルノブイリ原発事故
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1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉で、大きな爆発事故が起こりました。この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。火災を消火するために、ヘリコプターから原子炉の炉心めがけて総計5000トンにおよぶ砂や鉛などが投下されました。火災は爆発から14日後の5月10日にようやく収まりました。
この原発事故により、原子炉内にあった大量の放射能(註)が大気中へ放出されました。放射能は風にのり、世界各地に広がりました。チェルノブイリから約8000キロ離れたここ日本でも、野菜・水・母乳などから放射能が検出されました。
そもそも原子力発電って何なの?
原子力発電ではウランという原子の核分裂が利用されています。私たちの身のまわりにあるものをどこまでも小さく小さく切り分けていくと、もうこれ以上分けられない小さな粒=原子になります。その原子は、原子核(中性子と陽子)とそのまわりをまわっている電子からできています。ウランに中性子がぶつかると、核分裂が起こります。このとき大量の熱エネルギーが放出されます。原子力発電ではこの熱エネルギーを使って電気を作っています。
そして避難がはじまった
その日は快晴でした。原発労働者の町「プリピャチ」の住民のほとんどは、その日のうちにチェルノブイリ原発で事故が起きたことを知りました。しかし多くの人が買い物に出かけたり、公園で遊んだりと、普段どおりの生活を過ごしていました。被曝を恐れて、窓を閉め、家にこもったのは一部の人だけでした。
かつての原発労働者の町「プリピャチ」(2011年撮影)
1986年4月27日の昼頃、プリピャチ市のラジオから避難勧告が流されました。「身分証明書を携帯し、3日分の食料を持参してください」というアナウンスから、住民のほとんどは3日経てば町に戻れるものと思っていました。しかし彼らにここでの生活が戻ってくることはありませんでした。
プリピャチ市以外の原発周辺30km圏内の住民(主に農村地帯に暮らしていた)の強制避難は、事故から1週間経った5月2日に決定されました。1週間の間、彼らには事故について何も知らされず、ほったらかしにされていました。避難は5月3日に始まりました。ほぼ1週間かけて住民と何十万という家畜の避難が完了しました。30km圏からの事故直後の避難民数は約12万人とされています。
無人の街に佇むプリピャチの観覧車(2011年撮影)
開園前に原発事故が起こったため、ここに人が集うことはなかった
原発の消火作業と石棺の建設
原発事故後の消火作業や放射能の除去作業に従事した人々は「リクビダートル(事故処理作業者)」と呼ばれています。彼らは放射能を浴びた瓦礫の処理などを手作業で行いました。また爆発した4号炉の放射能を閉じ込めるために「石棺」の建設が始まりました。リクビダートルの総数は正確には把握されていませんが、60~80万人と言われています。
モスクワ・ミチノ墓地では、消火作業に従事した27名のリクビダートルが永眠しています。彼らの身体はあまりにひどく被曝していたため、鉛の棺に埋葬されています。二度と土に還ることはありません。
チェルノブイリ原発4号炉を覆う“石棺”(2011年撮影)
2011年当時、外壁の補強工事が進められていた
原子力発電所内部の模型
広範囲にわたる放射能汚染
放射能による汚染は広い範囲におよびました。原発周辺だけでなく、200km以上離れたところでも高濃度汚染地域が広がっていたのです。事故によりさまざまな放射能が大気中へ放出されました。なかでも問題とされたのがヨウ素131による被曝でした。ヨウ素131は半減期(最初にあった放射能の量が半分になるまでの時間)が8日と比較的短いのですが、甲状腺が特異的に被曝を受けるため、こどもたちの間にがんや機能障害などの深刻な影響をもたらしました。
事故当時のままプリチャチ川に残された船(2006年撮影)
また長期的に問題となっているのがセシウム137です。こちらは半減期が30年と長く、遠くまで飛んで行き、食べ物にも取り込まれやすいという特徴があります。そのため外部被曝(体の表面から被曝すること)だけでなく、内部被曝(放射能をおびた空気を吸ったり、水を飲んだり、ごはんを食べたりして、体内で被曝すること)ももたらされます。このセシウム137で比較した場合、チェルノブイリ原発事故では広島に投下された原子爆弾の数百倍もの放射能が放出されたと言われています。
放射能は大地や水、空気を汚染し、そこで暮らす生物すべてが汚染されてしまいました。ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国の汚染地域の総面積は145000平方キロメートルとされています。約600万人の住民がこの汚染地域内での生活を余儀なくされています。
甲状腺って何なの?
甲状腺はのど喉のあたりにある器官のことで、蝶が羽を広げたような形をしています。甲状腺ではヨウ素(ワカメや昆布に多く含まれる)を材料として甲状腺ホルモンを作り出しています。この甲状腺ホルモンは体の発育や成長、新陳代謝などに欠かせない働きをしています。成長期にあるこどもたちの甲状腺は、特にヨウ素を吸収しやすいと言われています。
チェルノブイリ原発事故により、放射性ヨウ素(ヨウ素131)が大気中へ放出されました。そのときにこどもたちの甲状腺にこの放射性ヨウ素が取り込まれ、やがて甲状腺の異常が多発するようになりました。
過去に甲状腺の手術を受けた女性
首元にうっすらと傷跡がみえる
放射能汚染がもたらしたもの ~甲状腺がんの多発~
チェルノブイリ原発事故後、1990年頃からこどもたちの間で甲状腺がんが急増しました。爆発により放出されたヨウ素131がこどもたちの甲状腺に取り込まれ、被曝をもたらしたのです。その後、1995年をピークに、こどもたちの間での甲状腺がんは減っていきます。しかしこれはがんの発生数が減ったということではありません。事故当時のこどもたちが成長し、それにともない甲状腺がんの発生する年齢も上がってきています。
放射能による被曝の影響の中でも、甲状腺がん(8~9割を占める乳頭がん)は比較的進行が遅く、時間が経ってから発病することも多くあります。こどもの頃に被曝したリスク・グループと呼ばれる世代は、現在そして今後もフォローしていく必要があります。
出産後に甲状腺がんの手術を受けた女性