自然豊かな飯舘村が原発事故に遭うと

飯舘村は、大阪市とほぼ同じ広さの約230平方キロ。2011年3月当時、広大な村に、大阪市の人口275万人の420分の1に満たない6,544人(1,716世帯)が、豊かな自然とともに暮らしを営んでいた。

飯舘村は、農業、林業が主体の村で、「日本で最も美しい村」連合に加盟し、特産品には御影石、リンドウやトルコ桔梗などの花卉、畜産、酪農、野菜。また、極寒を利用した凍み大根、凍み餅などがあり、どぶろく特区もあって、地域の特性を生かした村づくりを進めていた。

飯舘村は、阿武隈山系の北部に位置し、標高は400~500mあるため夏は涼しい。村の9割の世帯にはクーラーが無い。扇風機ですら使うのは年に10日あるかどうか。冬はマイナス20℃を観測したこともあるが、年の平均気温は10℃、だから花が長持ちし、紫陽花(あじさい)は8月〜9月まで綺麗に咲いている。

失ったものの大きさを示すために飯舘村の自然の恵みの豊かさをお話します。

雪が融けると福寿草が咲き
土手には植えた覚えのない水仙が咲き乱れる
紫陽花は8月、9月まで鮮やかに咲く
五月には燃えるような緑のモミジ
10月には燃えるような紅葉
居ながらにして紅葉狩りが
秋には自生のリンドウが

山菜・茸も豊富です

雪が融けるとふきのとうが
山ウド(左)、
タラの芽(右)
春にはワラビ

春先に山菜(ワラビ、ゼンマイ、フキ)を採取し塩蔵等で保存して野菜の切れる冬場の食卓を賑わしていました。

貨幣経済の統計では福島県内で下位に位置づけられる村でしたが人々の心も食卓も豊かな村でした。

食費の40%くらいは自然の恵みだったと話す方もいます。

栗も豊富

村の木が赤松で秋には松茸が沢山取れます、2010年春先に近所の人に松茸採れたら分けて下さいとお願いしていました。

9月末頃約1kg程持って来てくれました、えっ国産松茸こんなに沢山!!5万円?10万円?くらい払うのかな?恐る恐るいくら払えば良いと聞いたら何と5千円で良いですよと。その時66才で66年間に食べた松茸よりこの年1年で食べた松茸の量が多かった笑い話のようですが事実です。

松茸など高級茸の生える場所を「城」と称し、あの山の城は〇〇さんの城と他の人は侵す事の出来ない場所でした、城は親子でも教えないのが不文律でした、しかし事故後は高濃度汚染で食用に供せない、人に上げても迷惑がられるので茸採りは行われなくなりました。

私はある城の持ち主に食べられないけど汚染の測定したいので採って来て下さいとお願いしました、すると俺についてこいと城に案内してくれました、写真は2014年ですが一回の茸採りで大小36本採れました、これも笑い話のような話ですが親子の間でも明かさない城のありかを私の様な村に来て4年程の者に教える、原発事故で城を開け渡しねと。

しかしこの豊かな山菜・キノコ等自然の恵みは福島第一原子力発電所の事故で全てが失われました。

飯舘村は地震による家屋倒壊はゼロでした屋根瓦がずれるなどの比較的軽微な被害でした。

飯舘村の禍は福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質によるものです、3月15日それまでの風向きは陸から海側に吹いていました、しかし同日の午後から海から陸へ風向きが変わり原発から放出された放射性物質を含む雲が飯舘村を覆った時雨になりました、夜半から雪に変わり放射性物質を飯舘村に降下させました。

飯舘村の禍は自然現象がもたらしたもので原発事故が起これば何処でも起こりうる禍です。

山菜

山菜の経年変化を見ると減少傾向にあり食品の基準値(100㏃/kg)を下回る物もありすがコシアブラは数万㏃/kgを示しています。

キノコ

キノコは依然として基準値を大幅に上回っています。

2019年のサクラシメジの様に土壌(表面5cm)の汚染は約15,000㏃/kgにも関わらず茸の値は84,000㏃/kgを示しています、茸が濃縮している様に見えます。

しかし村内で栽培されている野菜やコメはほとんどセシウムは出ません、理由は除染した事、栽培の際にカリウムを含む肥料を施肥する事でセシウムの吸収を抑制します。

これまでも道の駅で販売されている野菜やコメを買求め測定していますが所有の測定器(ウクライナ製AKP社製NaI測定器システムSEG-63)では測定出来ないくらい小さな値です。

ただ、セシウムゼロかと言われれば保証出来ません、ゼロ以外はイヤと言う方の主張には答えられないそれが原発事故の実像です。

問題は自生の山菜・茸です村の面積の75%は山林で未除染です、山野にはカリウム分が少ない事、最大の問題は山の環境は腐葉土で満たされています、腐葉土にはセシウムが含まれており腐葉土中のセシウムは植物に移行しやすい形で存在する事です。

そして、この禍が無くなるのは300年の歳月を要します、現在の汚染源の大半はセシウム137で半減期30年です。

村の未除染の山野のセシウム137は約40,000㏃/kgですから300年かけて千分の一になるのを待たなければなりません。

飯舘村の豊かな自然の恵みが戻るのは300年後ですこれが原発事故の実像です。

*著者プロフィール*
伊藤 延由(いとう のぶよし)
1943年 11月生まれ
2010年 飯舘村の農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人に就く
    管理人の傍ら、水田2.2ha、畑1.0haを耕作
2011年 2年目の準備を目前に被災、6月末福島市内へ避難
11月「飯舘村新天地を求める会」を立ち上げ活動

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