大晦日の12月31日、バレンチーナさんとアンナさんは朝早くから食料を買い込み、正月用の料理を作り始めます。二種類のサラダ①《シューバ》(ニシン、ニンジン、ビーツ、ジャガイモ、ゆで玉子を細かく切ってマヨネーズで合わせたもの)②《カニカマサラダ》(カニカマ、炊いたライス、ゆでたエッグ、コーンをマヨネーズで混ぜたもの)、ブドウ、リンゴ、バナナの果物とチーズのかけらを串にさした《カナッペ》などバレエティ豊かなものが出来上がっていきます。
昼過ぎにご主人のフョードルさんが仕事から、長男のパーヴェル君が大学の試験から帰宅しました。その後、皆それぞれの部屋で一眠りします。夜中に新年を迎えるためでしょうか。夕方になると映画《運命の皮肉 》(1975)をテレビの大画面で見ます。大晦日にこの映画を見るのが、ロシア語圏の人々の伝統だと言います。その間、アンナさんやパーヴェル君は自分の部屋のものを整理整頓したり、お世話になっている先生や友達にお祝いのメッセージを送ります。
午後10時過ぎ、作っていた料理をテーブルの上に並べていきます。大きな鶏肉を焼き上げ、デザートにケーキを用意し、グラスに赤ワイン、シャンパン、ジュースを注いで準備完了です。カラフルな料理で綺麗に彩られた食卓につくと、両親がお祝いの言葉とともに乾杯の音頭をとります。食事を楽しみながら 一年の思い出を振り返ったり、来年の抱負を語ったり、話に花が咲きます。
夜中の0時が迫ると、皆グラスを持ち、カウントダウンが始まります。 新しい一年への願いを心に描き、「明けましておめでとう! 」とお互いを祝います。その願いは口に出すと叶わないので、それぞれ心の中に秘めます。その後も眠たくなるまで賑やかな食卓を囲み続けます。外では花火が打ち上げられていて、冬の夜空に咲く大輪の華を窓越しに見ることができます。 夜中の3時過ぎに就寝すると、お昼までぐっすりと眠ります。
今年は1月2日が日曜日で休日でしたが、ベラルーシ人の正月休みは基本的に元日の1日のみとなります。12月25日カトリック、1月7日正教会のクリスマスもそれぞれ休日となります。また、この3つの大きな新年イベントが続く期間は、学生の試験時期とも重なります。勤勉に働き学びながらも、祝日を目一杯楽しく過ごすベラルーシの人々からは幸せなエネルギーが満ちあふれています。
お正月明けには、ベラルーシ国民にとって大事な正教のクリスマスがあります。1月6日の夜中から翌7日にかけて各正教会で大々的に祝われる祭日で、今年はミンスクにある日本ニコライ堂で行われたクリスマス行事に参加させていただきました。
6日の夜10時、メインのミサが始まります。すでに多くの信者さんが木造建ての教会内にいて、私は中列から後列の間ぐらいの立ち位置になりました。その後も地域住民が次々と訪れ、深夜になるとその数は教会内に収まりきらないほどに膨れ上がりました。美しいイコン画が飾られた室内で神父さんの言葉と合唱団の歌声が響くなか、訪れた人は一緒に声を出して祈り、十字をきったりロウソクに灯をともしたりします。夜中の1時過ぎになると、マスクをしていたせいか息苦しく感じて、いったん外に出ようとしました。後ろを振り返ると、出口が見えないほどの人で埋め尽くされていました。何とか抜け出ることができましたが、深夜3時近くまで続いたミサの終了間際まで満員の教会の中には入れませんでした。隣接するカフェの中も祈りを捧げる人達でいっぱいだったので、教会の外を囲んでいた信者さん達と一緒に氷点下のなかを過ごしました。積雪と強風でかなり凍えましたが、周りの方々は祈祷に集中していて寒さを感じていないようでした。
7日の朝にもミサが行われますが(午前10時から二時間ほど)、訪れる人の数は真夜中の時よりも少なめです。各家庭では華やかな料理で食卓を囲み、お正月や誕生日のように家族皆で祝います。
2022年2月16日に創立10周年を迎える在ミンスク日本ニコライ堂ですが、国内でも幼い子供達・若者が多く通う教会として有名です。敷地内にはバードウォッチングができるエコロジー探検コース、手作りケーキが並ぶおしゃれなカフェ《テントウムシ》がオープンするなどして発展中です。また日本にゆかりがある教会ということで近々、隣接する日曜学校の建物内に日本文化クラブも設立する予定です。
今冬のベラルーシでは、温かい家庭のおもてなしを受け、伝統や文化を知る貴重な体験ができました。その過程でお世話になったチェルヴェニ市のフィルモーノヴァ家、ミンスクの日本ニコライ堂の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。寒く長い冬も、多くの祝祭日のイベントとそれを一緒に祝う仲間がいることで、時間が経つのを忘れてしまう楽しい期間となります。