チェルノブイリ通信133号(web版)

特集 大学生による福島訪問レポート

2023年9月4日~9月9日の福島訪問に参加した3名の大学生のレポートです。

訪問を通して知ったことや考えたこと、感じたことについて報告していただきました。

内田 妃奈子(大学4年)

 私は2021年、2022年に続き、3回目の福島訪問となりました。見聞きする中で、原発事故に対して福島に住む人たちの間にも温度差が生まれていることを実感しました。被災直後は目の前の生活を立て直すためにそろっていたはずの足並みも時が経つにつれていつの間にかバラバラになってしまっています。①原発事故を忘れよう、忘れさせようとする力と、②現実にしっかりと目を向けて自分のできることからやっていこうとする力に大きく分かれて、ズレを抱える12年目の夏。今の混沌とした福島を報告したいと思います。

①原発事故を忘れよう、忘れさせようとする力

 原発事故を忘れさせるために問題に目を向けさせないようにする、それすらも通り越えて無関心になっている人もいます。こうなってしまうのが分からないわけではありません。なぜなら、そうやって目を背けて忘れてしまった方が楽だからです。

◎ホールボディカウンター:体内の放射性物質の量を測定して内部被ばくの検査を行うための装置です。二本松市にあるホールボディカウンターの利用者は年々減って、現在ではスタッフがいる水曜と土日のみの稼働となっています。特に原発立地地域ではなかった中通りや会津地方の人は関心がなくなってきているようです。

ホールボディーカウンター

◎放射線と生活習慣によるがんのリスク:飯舘村の伊藤延由(いとう・のぶよし)さんが「飯舘村リスコミ誌の総集編([監修] 飯舘村支援 学際検討委員会)」を例にお話ししてくださいました。この誌面には内閣官房低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書の内容が引用されており、『放射線と他の発がん要因等のリスクとを比較すると、例えば、喫煙は1,000~2,000ミリシーベルト、肥満は200~500ミリシーベルト、野菜不足や受動喫煙は100~200ミリシーベルトのリスクと同等とされています。』と書かれていました。これに対して伊藤さんは生活習慣因子と被ばくを単純に比較してしまうのはおかしい、問題をすり替えてしまってはいないかとおっしゃっていました。つまり、喫煙するかしないかは自分で選べるといったように自分で制御することが可能な生活習慣因子と、したくてしたわけじゃない被ばくのリスクを並べることで、問題に目を向けさせないようにしているのはおかしいじゃないかということです。

飯舘村の伊藤延由(いとう のぶよし)さん

 このように、忘れよう、忘れさせようとする力がはたらいてしまっています。しかし、どんなに目を背けても、帰還困難区域の取り残されたままの風景、避難解除後もなかなか住民が戻らない場所、測定すれば出てくる原発由来の放射性物質など、どれもがなかったことにはしてくれません。

②現実にしっかりと目を向けて自分のできることからやっていこうとする力

 ①とは逆に、自分たちのできる範囲でできることをしよう、現実を記憶・記録しようと奮闘している姿も目にしました。

◎関心をもつ大学生の姿:資料を閲覧するために訪れた、双葉郡富岡町にあるインフォメーションセンター「ふたばいんふぉ」では大学生たちがワークショップを開いていました。「双葉郡未来会議」のスタッフの方が学生に双葉地域の現状を伝えていました。漁業は出航して獲れる日が制限されていて事故以前のようには戻っていないなど未だ抱える問題とともに、大きな松明を担いで駆け上がる麓山の火祭りや桜のトンネルとして知られる夜の森公園などの地域の魅力もお話しされていました。直接交流したわけではありませんが、時折質問したり意見を述べたりして、現状を知ろう、学ぼうとする同年代の姿に刺激を受けました。

ふたばいんふぉ

◎原発事故の実像:これは、前述の飯舘村の伊藤さんがお話してくださるときに必ず出てくる言葉です。線量計がないと昨日も今日も変わらないようにみえてしまいます。毒キノコは食べたらすぐ死に至りますが、放射性物質を含むキノコは食べても直ちに被害は出ません。目に見える分かりやすいリスクではないから、知識のない人はなぜ危ないのか分からず、危機感が薄まってしまうのだと思います。何もしなければ矮小化されてしまう事実に伊藤さんは向き合い、測定することでデータとして事実を記録し続けています。

◎おれたちの伝承館:南相馬市小高区に今年7月に開館した、原発事故の教訓を伝承する手作りの美術館です。「おれ」は地元の人たちが男女問わず使う一人称だそうです。中筋純(なかすじ・じゅん)さん、白髭幸雄(しらひげ・ゆきお)さんに案内していただきました。原発事故を象徴する風景で、ゲートのこちらと向こうでは世界が変わった、避難指示区域を仕切るバリケード。事故後に餓死させざるをえず骨と皮だけになってしまった牛と、牛が飢えをしのぐために最期にかじっていた柱の再現。チェルノブイリと福島の甲状腺がん患者から集めた甲状腺ホルモン剤の薬の空シートでつくられたオブジェ。福島が歩んできた苦難の中でもなんとか頑張って生きていこうとする上に向かっていく力強いエネルギーを感じる天井画。経験や現実を切り取った絵画や写真。アートは文字よりもダイレクトに想いが伝わってくるように感じました。恐ろしさ、悔しさ、やるせなさ・・・そしてそれをみんなに伝えたい、忘れないでほしいという想いがひしひしと伝わってきました。言葉巧みに操られて都合の良いことだけをすり込まれるより、無駄な説明がなく、そのアートから自分で考えることができるような余白もあって、今までの訪問のことを見つめ直す時間を過ごすことができました。

おれたちの伝承館

 「忘れる」これは人間がもつ防衛本能の1つと言われています。嫌なこと、悲しいこと、苦しいこと、そういった経験のすべてを克明に記憶していたら、つまり忘れることができなかったら、すぐに不安やストレスで押し潰されてしまいます。ストレス社会といわれる現代で生きていくにはある程度の鈍感さは必要でしょう。しかし、すべてのことに見ないふり、気が付かないふり、さらには無関心になってしまうのは違うのではないでしょうか。起きてしまった原発事故、向き合うべき過去や事実から目を背けて忘れ去った先にあるのは復興とは言えません。未来に、前に進むために現実に向き合おうとしている人たちのエネルギーがもっと広がっていくといいなと思います。私も鈍感力と敏感力のバランス感覚を大切にして、鈍感さの中にも情報を受け入れるアンテナは立てておきたいです。そして、間違った考え、楽な考えに流されず、自分の意思は忘れないように生きていきたいと思いました。

平江 莉子(大学三年)

 「本当に綺麗な海だなあ」。そう思いながら東北地方に降り立つ直前、広大な海と海岸を飛行機の窓から眺めていました。私にとって今回で2回目となる福島訪問は、あの広大な海とは裏腹に、遂に開始された原発処理水排出開始の事実に疑念を抱きながら始まりました。前回私が福島県を訪れたのはちょうど一年前の、2022年9月初頭でした。今回も、様々な場所を回る中で見えてきたのは、「保障されない安全」です。今回はこの「安全」というキーワードを念頭に置きながら、解除された特定復興再生拠点区域、表面上では進む復興、最後に飯館村の伊藤さんに伺ったお話を元に、「安全性」について書いていきたいと思います。

 まず、訪問二日目に今年5月に特定復興再生拠点区域が解除された飯館村の長泥地区の、以前ゲートが設置されていた場所まで行きました。手元の線量計は最高値で0.847μSv/hを指していました。事故前の空間線量率は、0.05μSv/h(伊藤さん 2023)。決して低いとは言えない数字を前に、撤去されたゲートの跡が残る道路を見ると、なんとも言えない感情になりました。解除されたとはいえ、被曝量は日本人の平均より上回ることは事実です。にも関わらず、ゲートがなくなったことで人が立ち入れるようになってしまったなら、この間まであったゲートの存在はなんだったのでしょうか。

(左)撤去された長泥地区のゲート跡と線量計
(右)撤去されたゲートの先に進んだ際見つけたフレコンバッグ

 私たちはゲートが設置されていたより先へ足を進め、道中除染物が入った大量のフレコンバッグに遭遇しました。放射能汚染によるゴミ問題の解決が中々見えてこない現状がそのまま映し出されていたようでした。これらの除染物は中間貯蔵施設で一時保管されることになるが、2045年までに除染物を福島県外の最終処分場に搬出するよう「放射性物質汚染対処特措法」で定めています。環境省の敷地がある都道府県を目処に計画が進められており、現在も住民への説明が行われているようですが、理解や賛成を得られているとは到底思えません。それ以前に、放射能とは基本的に、“冷やす・閉じ込めることが鉄則のはずです。県外への搬出というよりかは、放射能を全国にばら撒いていることに変わりありません。2014年時点で、賠償、除染、汚染水対策などでの国から東電への支援額は7兆円を突破しています。せっかく多額な費用をかけ、除染や搬出を進めたにも関わらず、県外へ運ばれてしまっては、資金を費やした意味がなくなるのでは無いでしょうか。フレコンバッグを後に、今度は避難指示解除とともに新設された「長泥コミュニティーセンター」に立ち寄りました。すでに開所式も行われているとのことですが、立ち寄った当時は利用者がいなかったためか、かなりガランとしていました。人をあまり見かけないこともあってか、山の中にあった異様に新しい施設にどこか不気味さを感じました。さらに近くに長泥曲田公園もあったのですが、公園内に貼られていた掲示物に、「人と自然がふれあう花の里、再び」というキャッチコピーを目にしました。住民の方を思えば、自分たちが過ごした思い出の場所が元に戻ることを望むのは当然です。しかし、公園内の草むらは本当に除染が終わっているのか、放射能が目に見えないからこそ、容易に触れられない自然とは私たちに何を恵んでくれるのでしょうか。このように、特定復興再生拠点区域が解除されたとはいってもそれは一部の話であり、復興拠点を中心に解除が進められているだけで、放射能は変わりません。本当に住民の帰還を促すべきなのか。あのゲートの意味を私たちは考えなければならないと思います。

(左)長泥コミュニティセンター
(右)長泥曲田公園の張り紙

 こうした表面上進んでいる復興は長泥地区に限りません。昨年の8月末に特定復興再生拠点区域が解除された双葉町の中心部では、人気のなさとは裏腹に、真新しい駅や市役所が目立っていました。加えて現在双葉町では総人口が約80人にも関わらず、市役所の職員はおよそ60人にもなるそうです。住民の数に対して、明らかに多すぎる職員の数。住民へのためというよりかは、どうにか人を増やすための措置では無いかと思ってしまうほど、不自然な人数だと感じました。この他、駅の近くにはこれまた新しい「双葉町えきにし住宅」という公営住宅が広がっていました。しかし、この住宅街付近で前回の訪問時にフレコンバッグが積まれていた記憶があります。そんなところに人が住んでいいものだろうか、ましてや子供を育てるなんて。そう疑問に思わざるを得ませんでした。さらに、今回の訪問で一番驚いたのがメガソーラーです。最終日の九月六日、私たちは伝承館の中筋さんの案内で、大量のメガソーラーパネルの元へ降り立ちました。目の前に広がる広大な土地、というよりソーラーパネル畑には圧倒されました。学校の校庭何個分あるのだろうと考えられるほどのソーラーパネルがあたり一面に設置されていました。というのも、福島第一原発以降、原子力という電力の供給源を失った背景から、新たな供給源としてソーラーパネルが設置されています。しかし、中筋さんのお話を聞いていると、そこで作られた電気は東京に送られるとのこと。結局、福島への支援ではなく、出資企業の利益のために設置されたにすぎませんでした。加えて、後でメガソーラーについて調べると、現在福島県では大量のメガソーラー設置ラッシュにより、一部産地で「はげ山」化が進んでいるそうで、今年8月31日には「ノーモア メガソーラー宣言」が福島市から出されていました。復興はおろか、環境破壊を招いては元も子もありません。ここでもまた、環境の安全すら担保されていないと言えます。何をなして復興と呼べるのか、今一度支援側が一番考えなければならないのでしょうか。

中筋さんに案内された場所で見た大量のソーラーパネル

 最後に、今回の訪問を通して見えてきた、保障されていない「安全性」について、飯館村の伊藤さんに伺ったお話を元に、書いていこうと思います。今回も様々な場所に赴いたわけですが、やはり解除されていても一部の特定復興再生拠点区域では未だ線量が高かったり、東京電力や国の杜撰な対応も見えてきました。とりわけ、最近では原発処理水の海洋放出が遂に開始されてしまったことは、福島県の方だけでなく、私たちや、日本以外の国にまで影響が出る恐れもあります。まずその原発処理水ですが、伊藤さんからも処理水ではなく、汚染水だとう発言がありました。この汚染水問題に伴って、マスメディアでは中国を中心に、他国の処理水についての報道を行うなど、日本以外の事例も報道することで、海洋放出を正当化するような雰囲気が感じ取られました。またSNSでは、日本の海洋放出に反対する中国を批判する声が多く見受けられました。それをさらにニュースで取り上げることによって、マスメディアが日本を批判する中国が悪であると印象付けるような報道の仕方だったと個人的には感じています。しかし、中国や他国の処理水と違って、福島原発の処理水は核に直接触れたものであり、第一次汚染水なのです。よって、他国の処理水はあくまでも第二次汚染水になってくるので、環境への影響があるにしろ、程度がかなり異なります。このような汚染水が海洋放出されるに伴い、首相が地元市民への十分な説明を行い、理解を得られたと表明していましたが、地元市民の方は賛同していなかったそうです。ニュースで報道される内容と、福島で地元の方から聞くお話は大体どれもすれ違っており、情報統制されているのだなと強く感じました、私たちの知る権利が守られていないことに憤りを感じました。ここまで書いてきたことを含め、このような現状を見る限り、国は福島県民の安全を蔑ろにしており、自国の利益のことしか考えられていないのではないでしょうか。震災から10年以上経った今、進まない本当の復興をもう一度問い直す必要があります。第一に考慮すべきは被災者であり、安全や人権を保障する義務が国にはあるはずです。目に見えない放射能、そして直ちに影響が出るわけではないとしても、これから更に時間が経てば、現在の杜撰な対応のツケが回ってくると私は思っています。起こった後では遅いのに、政府はこのまま先行きが見通せない、不透明な復興を続けていくのでしょうか。そうならないためにも、私たちは被災者の声を届ける必要があります。宮原(2006)によれば、『「復興」とは「災害によって衰えた被災者および被災地が再生すること」である。』と示している。今の福島への復興は果たして再生しているということができるのでしょうか。目先の利益にとらわれず、長期的に支援を続けていく、それが本来復興のあるべき姿であり、被災者の安全を保障していくべきです。現場に行かなければわからない福島の現状を、私長期的な視野で伝えていきたいと思っています。

参考文献
“東電向け国の支援7兆円突破 震災3年、賠償・除染なお課題”. 日本経済新聞.2014-03-10.
“2045年にどこへ?原発事故で発生した汚染土 福島・中間貯蔵施設の現在地”.東京新聞.2023-05-21.
宮原浩ニ郎.「復興」とは何か ――再生型災害復興と成熟社会. 2006. 先端社会研究 第5号

古賀 伊織(大学3年)

福島訪問、半年前との比較 

 私は今年の春に初めて福島県の被災地を訪問し、今回が2回目の訪問となりました。前回の訪問時と比較していくつか変わった点もあれば、変化していない点もあります。今回の記事はそのことについてを主にまとめました。

〈双葉町〉

 今もなお帰還困難区域が大半を占める双葉町は、元福島第一原発の近くということもあり、放射線量は高いです。前回訪れた伝承館は休館日だったため見学できませんでした。この近くには福島県復興祈念公園という広大な公園が途中まで整備されていますが、3月に訪問した際と全く変わらず更地のままでした。完成にはほど遠いと思われます。一方で前回も訪れた双葉駅周辺には「えきにし住宅」という、2022年に入居者を受け入れ始めた公営住宅があり、現在は30人弱が生活しています。訪れた際は大雨だったため、歩いている人は見かけませんでしたが、入居者が育てていると思われる植物が家の前にあり、人の気配を感じました。また、今年の8月には双葉町に震災後初のコンビニがオープンした他、飲食、温浴、宿泊の機能を備えた施設もオープンしており、復興に向け少しずつ進んでいると感じました。

〈富岡町〉

 今年の春に桜並木で有名な夜ノ森が特定復興再生拠点の避難指示解除となったため、前回の訪問時は立ち入り禁止でしたが、今回は立ち入り出来るようになっていました。解除された際はセレモニーが行われ、桜並木を一目見ようと多くの人が訪れました。訪問時の空間線量は0.27マイクロシーベルト/時でした。また、周囲には震災当時のままの住宅が多く取り残されていました。

〈大熊町〉

 道路を車で走っていると、所々に立ち入りを規制するバリケードがありました。放射線量はかなり高く、前回の訪問時も見た震災当時のままの寿司屋、服屋がまだ残っていました。このあたりは手がつけられない、という事情があるかもしれませんが、私には放置されているように感じます。大野駅周辺は再開発が進められており、震災前は商店街だった駅前は、現在建物が全て取り壊されており更地となっています。震災前の賑わっていたこの場所を写真で見ましたが、やるせない気持ちになり、改めて原発事故の脅威を思い知りました。現在、ここは復興に向けて、特に帰還者に向けたアパートが立ち並ぶ市街地を整備しています。

大野駅2階の窓から見た元商店街。建物は全て取り壊されていて、震災前の面影は無い。原発事故は人々から恋しい故郷さえも奪った

 〈浪江町〉

 避難指示が解除されたことで、前回立ち入り出来なかった場所に訪れることが出来ました。「陶芸の杜おおぼり」はその一つで、今年は13年ぶりに大せとまつりが開催された。周囲は未だ震災後のままの崩壊した家屋や建物が多くありました。空間線量はかなり高く、2マイクロシーベルト/時を常時越えていました。(福岡の空間線量は平均0.1マイクロシーベルト/時以下。)そのため私たち大学生は身体に影響が無いよう、車の中で待機しました。

 陶芸の杜とは別に、ソーラーパネルが広大な敷地に詰められた太陽光発電所を訪れました。パネルの設置場所は帰還困難区域とそうでない場所であり、場所によっては道を挟んでそこが区別されていました。周囲は雑草が生い茂っており、その雑草を刈らず除草剤を散布しています。そのため除草剤による空間汚染が広がっているのではないかという懸念を抱きました。

 ここでつくられた電気は福島県内でなく東京に送られます。また、広大な土地に敷き詰められているソーラーパネルですが、いつかは寿命がきます。その時この場所はどうなるのか、この先ここの管理は行われるのか、等の不安は拭えません。この構造に見覚えはありませんか? 震災前の原子力発電の頃の構造ととてもよく似ているように思えます。つまり、震災後から全く変わっていないのです。変わったのはエネルギーだけで、これでは復興しているとはとても言えません。

〈飯舘村〉

 長泥地区の避難指示が今年の春に解除されたため、前回バリケードで封鎖されていた特定復興再生拠点に立ち入り出来るようになりました。

 この場所の空間線量を測ったところ、1.7マイクロシーベルト/時でした。この数値は前回の訪問時とあまり変わらず、場所によっては私たち大学生が車から降りられないほど線量が高い場所もありました。なぜこの場所の避難指示が解除されたのかと疑問に思うと同時に、数年間の封鎖は果たして意味があったのかとさえも思えました。長泥地区には今年の5月に新しくコミュニティセンターが完成しており、総工費は200億円を越えています。200億円もかける意味があったのかは分かりませんが、いずれにせよこの場所に若い世代が定住できるとは思えません。コミュニティセンターのすぐ横には隠されるようにまとめられた除染土が積み上がっていました。これは多額のお金で立派な建物が次々に建てられているが、根本的な解決になっていない、そのため復興が進まない福島県の現状そのものように思えました。

(左)右の写真と同じ場所で今回撮った写真。バリケードがないため通行は自由となっている。
(右)通行止めされていた時の写真。(今年の3月訪問時)警備員がいて厳重に管理されていた。

 前回の訪問時から半年、福島は復興に向けた変化が多くありました。その変化が良いことばかりとは断言できませんが、震災前の生活には決して戻ることは無いでしょう。それほどまでに原発事故の残した傷跡はとても大きく、それ故に二度とこのようなことは決して起きてはならないのです。


福島県のキャラクター

福島訪問時に撮影した写真はこちらでも公開しています。興味のある方はぜひご覧ください。

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