チェルノブイリ通信141号

被ばく量を測る
原発事故の大きさは被ばくのリスクの大きさ

寄稿 / 伊藤延由

初秋の飯舘村 2025年

 縁あって2009年11月から飯舘村に住み、2010年4月から研修施設の管理人の傍ら水田約2.2ヘクタール、畑約1.0ヘクタールの耕作を始めました。
 2010年はそれまでの人生にない充実した一年間でした、同年は平場では高温障害でコメの品質は悪いものでしたが、飯舘村小宮地区は標高400から500メートルで高温障害もなく質のよいコメが採れました。
 日本の農業取り分けて中山間地と言われる地域は、獣害と雑草との戦いです。水田・畑の周りに、獣害対策の為の電気柵を張り巡らし、雑草が漏電を起こさぬよう電気柵の下の草刈りは大きな負担でした。2.2ヘクタールの電気柵の下の草刈りが一回りすると、最初の部分は草が伸びて草刈りが必要な状態でした。
 田植えが終わった5月中旬からは日の出とともに草刈り、朝食後一休みして草刈り、夕食を取ると眠気が襲い爆睡でした。現在の体重は70キロほどですが当時は62キロ程度でした。

晩秋の飯舘村 2014年

 畑にはいろいろな野菜を植えましたが、樹上完熟のトマトや野沢菜の若芽のシャブシャブなど生産者でなければ味わえないものがふんだんに得られました。
 トウモロコシも植えたのですが、無農薬でほとんどが虫食いで売り物にならず、一時は主食がトウモロコシの時期がありました。採れたて茹でたてのトウモロコシは美味しく毎日頂きました。
 丹精込めた作物の収穫は農民をしてて良かったことを実感しました、コメは約8トンの収量で、社員やお客様に試食をお願いし、宜しかったら購入をとご案内したところ、同年末までに完売しました。コメは主食ですから通年供給できなければと、周辺の休耕田を借り、2011年は約6.0ヘクタール、25トンの収穫を目論み準備を始めた矢先でした。

山の恵みたち

発災
 3月11日午後、未曽有の大震災が襲った、飯舘村も震度6強の揺れでしたが村内での家屋倒壊はゼロ、屋根の瓦がズレたとか玄関の戸が開きにくくなった程度でした。
 飯舘村の災いは3月15日夕方から始まります、14日午後それまで村内にはなかったモニタリングポスト(MP)が設置されました。
 そして翌15日夕刻(18時20分頃)にMPの値は毎時44.7マイクロシーベルト/hを示しました。通常この値は0.04~0.05マイクロシーベルト/hですから通常の千倍ほどの値になります。ただ、放射能は匂いも、色も五感に感じないもので直ちに健康に害をもたらすものではないものです。

避難指示
 国は4月22日に至り、年間被ばく量が20ミリシーベルトないし50ミリシーベルトを超える可能性があると、飯舘村に計画的避難区域を指定、一か月以内に村外に避難せよと指示しました。
 実際に避難が終わったのは7月上旬の仮設住宅完成の時期でした。

除染
 原発事故で放出された放射性物質は広島原爆の168発分と言われていますが、その7~8割は海洋に、残りが陸上に降下し動植物を汚染しました。その結果、事故前までは毎時0.04~0.05マイクロシーベルト/h程度だった空間線量率が飛躍的に高まりました。
 事故直後1~2年くらいは10マイクロシーベルト/h程度(事故前の200倍ほど)の場所が随所にありました。雨樋の下などは350マイクロシーベルト/hほどの場所がありました。国は放射線量を下げるために除染と称して、宅地、農地、道路とそれぞれの境界から20メートルの範囲を対象に宅地、農地は表土5センチメートルを剥ぎ取り清浄な土を5センチメートル覆土し、道路は高圧洗浄し最終的には再舗装を施しました。しかし、除染の範囲は飯舘村の場合面積の16%で、残る84%の山林原野は手つかずで問題を残しています。
 飯舘村の除染に投じられた費用は4千億円(2024年度末)と言われていますが、その額は、2010年の村の予算41億円の約100年分です、しかし除染の効果も限定的で除染後8年を経過し自然の営みにより汚染が進むケースがみられます。未除染の山林原野では14年を経た現在でも1.0マイクロシーベルト/h(事故前の20倍)を超える線量率を示します。

放射線防護の三原則
 放射線が発見されて以来、放射線には何らかの害があることから「放射線防護」なる言葉が存在しています、そこには、
1.正当化(Justification)
 放射線を使用する行為は、それによって得られる便益が、被ばくによる不利益を上回る場合にのみ正当化されるべきとであるという原則です。例えば、医療における放射線診断や治療は、患者の健康状態を改善するという便益があるために正当化されます。
2.最適化(Optimization)
 放射線による被ばくは、経済的・社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く抑えるべきであるという原則です。これはALARAの原則(As Low As Reasonably Achievable)としても知られています。
3.線量限度(Dose Limits)
  放射線業務従事者や一般公衆が受ける放射線量には、上限が設けられています。これは、放射線被ばくによる健康影響を制限するためのものです。
 三つの項目とも共通するのは、如何に被ばくを低く抑えるかに配慮しています。即ち、放射線被ばくはいかなる場合でもリスクはあることの現れです。

出典:(公財)原子力安全研究協会「生活環境放射線」(平成23年)

自然界にも存在する放射線被ばく
 とは言え、人類発生以来自然界から被ばくしています、上の表は日本人が自然界から受けている放射線被ばくの表です。外部被ばくの場合は宇宙線によるものと、地球の大地を構成する岩石などから発する被ばくがあります。大地放射線の中には、1950年代後半から始まった大気圏内核実験で放出された放射性物質の残渣からの被ばくも含まれます、60年以上昔に行われたものが現在も消えずに残っている。
 上の表は日本人が自然界から被ばくする要素です、外部被ばく、内部被ばく(吸入摂取)、内部被ばく(経口摂取)に分かれ、概ね年間2.1ミリシーベルトを被ばくするとあります。
 以降の章では外部被ばくを中心に筆者の採取したデータを示します。この値は地域によりかなりの差異があります。

原発事故による被ばく量
1.初期被ばく(外部)
 上の表が示す値は、2012年秋に開始された「飯舘村初期被曝評価プロジェクト」による、筆者の初期被ばくの評価値です。
 このプロジェクトは京都大学複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所)の今中助教が中心となり環境省の委託事業として実施されたものです。
 対象範囲は3月15日夕刻から7月末まで4.5か月の推計被ばく量です。自然界からの外部被ばくが0.63ミリシーベルトだとすると、4.5か月で約17年分の被ばくをしたことになります。ただ、この程度の被ばく量では「直ちに健康に被害をもたらす値ではない」ようです。これは原発から約35キロメートル離れた場所で過ごした値です。

避難指示解除後の被ばく量の変化
 国は2017年3月末日をもって避難指示を解除(一部長泥地区を除く)しました。その時の条件が、年間20ミリシーベルトで避難指示したが20ミリシーベルトを下回ったので避難指示を解除するとしたものです。ご存知の通り福島県以外では一般公衆の追加被ばく量は年間1ミリシーベルトと決められています。
 原発事故が起きると年間1ミリシーベルトの基準は守れない、だから福島県民は年間20ミリシーベルトとするとされました。放射線防護で述べましたが、被ばくはリスクがある、だから可能な限り被ばくを避けるとあります。その為に許される被ばく量は年間1ミリシーベルトと決めたはずですが、福島県では年間20ミリシーベルトが管理の基準になっています、これには怒りをもって抗議します。原発事故はそれまで安全のためにと決めた基準は守れない、だから基準を下げることにしました。
 私は避難指示解除を受けて村に戻り生活を始めました、解除前も日中は村内での活動は制限されていませんでしたから、被ばくを承知の上で村内で生活していました。
 避難指示解除後は宿泊も可能となり村内宿泊をベースに生活しています。国が避難指示解除したエリアで生活するとどれくらいの被ばく量になるかを測りながら。

使用する測定機器と具体的測定

A.空間線量計(PDR‐111)
 放射線の測定(ガイガーカウンター)

B.個人被ばく線量計(PDM‐122B)
 個人の被ばく量測定、累積

C.個人被ばく線量計(PDM‐501)
 個人の被ばく量測定、累積&時間毎の被ばく量

 測定は、PDM‐122Bを使い、毎朝6時から翌朝6時までの24時間の被ばく線量を採取し記録、その後ゼロクリアして翌日の測定に進む。
 PDM‐501は時間毎の被ばく量が採取出来るので、1時間毎の被ばく量を採取し、一か月間のデータを記録採取。
 B、Cの測定器を腰高(1メートル)に装着、二基装着は万一の際のバックアップと、器機による誤差補正のためです。

*2017年1月1日~3月31日は解除前

避難指示解除後8年間の被ばく量
 毎日の行動を、村内の屋内又は車内と屋外滞在時間、村外滞在に分けて集計しました。事故前では、屋内と屋外による差異はほとんど無いのが普通です、その事実は事故後の村外の測定値が示しています。(※上表参照)
 時間の経過とともに被ばく量は少なくなる傾向です。それは、汚染源であるセシウムの構成によります、降下時ほぼ50対50だったセシウム134と137ですが、半減期が約2年のセシウム134は2016の年で1/8に減衰しています。
 8年間平均1.5ミリシーベルト、2024年は1.2ミリシーベルトと低い値ですが、(1)村内の屋外滞在時間が少ないこと、(2)村外滞在割合が多かったことによります。
 営農再開や林業再開で屋外滞在が増加すれば、3~5倍程に増加する事は間違いないと思います。ただこの程度の被ばく線量では先に述べたように、直ちに健康に害は無い値です

飯舘村の被ばく量と全国各地の比較
 上のグラフは、2024年6月~一年間、毎月1日の被ばく量を集計したものです、目的の一つは、飯舘村の被ばく量が抜きんでていることの証明、もう一つはもし事故が無い状態(平常時)の被ばく量を記録しておくことです。事故後の値を見て、これは原発事故の被害なのか否かを見分けるためには平時の値を記録しておくことが大切です。
 飯舘村の値は明らかに原発事故の影響です、しかし同じ福島県内の南相馬市、福島市の値は影響の有無は判断できません。新潟市や村上市(新潟県)の値を下回っています。
 このように放射線量は地域によって大きな差異があります、新潟市は私の自宅のある東区の測定結果ですが、事故直後の測定ではセシウム134が検出されたので事故の影響も疑われます。
 村上市は自然界から?、新潟県北地域で自然界の放射線が高いエリアが報告されていますし、村上市内の瀬波温泉も測定範囲に入っているのでラドンなどの影響もあるようです。
 こんなこともありました、2016年9月1日から今日まで一日も欠かさずにこの測定(PDM‐122B)を続けてきました、2024年2月に入院した新潟市内の病院では一日の被ばく量が2.0マイクロシーベルトの日が続きました。原因は建設資材、砂利など自然由来と思われます。
 これからも被ばく量を測定していきますが、ここで気づいた事「被ばくしてしまった量を測っても手遅れ」だということです。
 特に放射線の感受性が大人の20倍とも言われている子どもたちの被ばくを避けるために大人は苦心すべきです。

終わりに
 起きないと言われていた原発事故が起きました、国会で全電源喪失は無いと発言した首相がいましたが、全電源喪失し重大事故に至りました。原発事故からの復旧は困難です、それは、山林原野は未除染のままだからです。飯舘村の場合は未除染のエリアが村の面積の84%で、土壌は数万ベクレル/kgのまま、200~300年放射線を出し続け、山菜・茸を汚染し続けます。
 国は放射線防護の三原則に従い国民を放射線被ばくから隔離する策を講ずるべきですが、その様子は見られません。
 であれば自らが放射線防護を学び自らと家族の身を守る事にしましょう。

伊藤 延由(いとう のぶよし)
/ 飯舘村農民見習い

1943年11月生まれ
2010年 飯舘村の農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人に就く。管理人の傍ら、水田・畑を耕作。
2011年 2年目の準備を目前に被災。6月末福島市内へ避難。11月「飯舘村新天地を求める会」を立ち上げ活動。

1 2 3 4 5
PAGE TOP