【2018年4月】ミンスクの一日

2018年4月26日、チェルノブイリ原発事故から32年が経過したベラルーシ。首都ミンスクでも事故犠牲者を追悼する行事がいくつかありました。

午前9時半近く、事故の消火活動に赴いた英雄の名がつく《イグナチェンコ通り》でチェルノブイリ追悼集会が行われました。約20分の厳粛な雰囲気で行われた集会には緊急事態省職員、若い消防士、当時の防災活動あたった人達が参加しました。 代表者挨拶の後、イグナチェンコ氏の石板が掛る壁下に花が添えられ、各隊が規律正しい行進で敬礼をしていきます。こうして英雄の残した勇気は現在の世代に感慨深く伝わっていきます。

午後7時からはベラルーシ共和国ドラマ劇場で《チェルノブイリの祈り》の演目が披露されました。脚本はベラルーシ人初のノーベル文学賞受賞者スベトラーナ・アレクシエービッチさんが執筆した《チェルノブイリの祈り~未来の物語》とも結びついています。舞台では各登場人物が悲惨な事故の体験を心底震えるような声で語っていきます。観客は真剣な面持ちで演劇を見守ります。役者のセリフの中で何度もチェルノブイリ事故と広島原爆被害が比較され、『被爆者』という言葉は日本語のまま発音されていたのが印象的でした。急に取材に訪れた日本人の自分に主催者側は特別に客席を用意してくれました。共通した原発事故の歴史を持つ両国の絆を強く感じます。

翌27日も《チェルノブイリの祈り》演目開始前に劇場の配慮で大女優のタチアナ・マルヘリさんとミンスク国立青少年観光生態学センター郷土史部門主任のアンナ・サジェニヴァさんに話をきくことができました。舞台で母から受け継いだ歌を披露しながら主役の一人を演じるタチアナさんは劇を通して32年前に起きた大惨事を多くの人に伝えていくことが大事だと言います。「32年前、私はビテプスクで女優として働いていました。チェルノブイリからは比較的離れているということで町はそんなに大騒ぎにならなかったけど4月のある朝、いつにない目まいを覚えました。今なお強く思うのは、人にはそれぞれ平等に生きる権利が与えられており、それを脅かすこのような事故は2度と起きてはいけないということ!」。この日、劇場内でチェルノブイリに関する講演を主催したアンナさんは「当時、私はゴメリの学校に通う少女でした。1986年、事故後に私達児童はエストニアの休養施設へ健康改善のために3カ月間送られたこともあります。私達にできる大切なことは悲劇を忘れないこと。未来のために子供達、教育者にこのことは伝えていきたいですね!」と語ります。

他にも様々な世代のベラルーシ人達にチェルノブイリ事故から32年経った今思うことをきいてみました。

13歳・男性・陸軍幼年学校生徒・チホン・マギリン:「僕はミンスク出身だけどチェルノブイリ近郊生まれの母から事故のことはよく聞かされました。被害者や自らを犠牲に防災活動にあたった人達のことを思うと心が痛みます。全てが一刻も早く解決されることを願います!」。

21歳・女性・国立ラジオ文化放送アナウンサー、学生・スベトラーナ・チジク: 「私はまだ生まれてなかった頃のことだけれど、スルツク(ミンスク州)にいた父に事故のことはよく聞いていました。じわじわと人類を滅ぼしていく放射能の影響がいまだに残っていることはこの上なく恐ろしいことです。放射能の問題を克服することをあきらめてはなりません。私達は生きているのだから!」

31歳・男性・エネルギー技師・イリヤ・ヴォイストラチェンコ:「私は事故の起きた年の10月にゴメリで生まれました。チェルノブイリの悲劇を伝えるドキュメンタリー映画等を見て放射能の恐ろしさを強く感じていきました。この悲劇を忘れず繰り返さないよう努力していく必要があり、被害者への救済処置も大事な課題です!」

41歳・女性・裁縫師・オリガ・アリモヴァ:「今年に限っては汚染ゾーン内にある墓地に親族は1日だけ入れる許可が出たとききました。ただ32年目という月日は放射能の消滅を意味してるわけではありません。ずっとブレストに住んでいますが、今も家族のためにできるのはゾーンで栽培された食物を購入しないように気をつけることぐらいです!」。

65歳・女性・音楽教師・スベトラーナ・クプリャコヴァ:「二人目の子を出産した直後に起きた事故で、当時は子供達の健康のために現在住んでいるブレストからさらに遠くへ引っ越してしまいたい気持ちでした。世界が平和であるよう願うのみです!」。

79歳・男性・国際報道専攻科名誉教授・イヴァン・サーチェンコ:「事故が起きたのは、私が汚染ゾーンの村にある両親の墓を訪れた日でした。匂いも持たない放射能に気づく者は誰もおらず、平和に暮らしていた人々が涙ながらに故郷を捨て避難を余儀なくされたのを覚えています。原発事故による放射能の恐怖は今も身に染みています。世界のどこであろうともこの悲劇はもう繰り返されてはならない!」。