【2020年3月】ミンスクの一日

母バレンチーナさん(右)と娘アンナさん(左)
食事の制限等がないアンナさんは現代っ子と同じで甘いものが大好き
 暖かい春が訪れたベラルーシでは、チェルノブイリ事故の被害から34年目をむかえようとしています。その影響を受けた一組の母と娘の記憶をお届けしたいとお思います。今回インタビューに応じてくれたのはバレンチーナ・フィルモーノヴァさんと娘のアンナさんで、首都ミンスクから65㎞ほどの南東に位置するチェルヴェニ市在住です。  最初に母バレンチーナさんに、自身の生い立ちから事故当時の状況までを振り返ってもらいました。 「私は1974年にモギリョフ州クリマヴイチ市(チェルノブイリから約285㎞の直線距離に位置)で生まれました。父、母、2人兄弟と2人姉妹に囲まれた大家族で、私は下から二番目の子でした。12歳の時にチェルノブイリ原発事故が起きました。まだ子どもだったので放射能の影響や被害状況についてはあまり覚えていません。ただ事故後すぐに私は同年代の子達と一緒に黒海沿岸グルズフ村にある《アルテーク国際子ども保養センター》へ送られ、そこで1ヶ月のあいだ過ごしました」。

 その後、1989年にスモレンスク市の教育機関に入学するまで故郷の町に住んでいました。そして、今は現住のチェルヴェニ市で精神科医として働いています。子どもが大好きな彼女は、少し前まで地元の小学校でもカウンセラーを勤めていました。

 近親者への事故後の影響を伺うと、「私の家系はみんな健康でしたが、同じ町出身の舅は、進行性が早い悪性の肉腫で亡くなりました」とバレンチーナさんは言います。

現在、夫と3人の子どもに恵まれている彼女ですが、2002年生まれの末娘アンナさん(18)には健康への影響が出ています。

 「上の長女(25)と長男(19)は健康に育ってくれたけど、アンナには生後7ヶ月の時に腫瘍が見つかり、それは事故後に広がった放射能との関連性が認められたものでした。3年間に及ぶ化学治療で腫瘍は除去できましたが、現在でも彼女にはある種の支障が出ています。それを言うのは控えさせてください」。 少し悲しげな表情を見せたバレンチーナさんですが、たんたんと話を続けてくれました。

 「今でも毎日ホルモンの薬を摂取しなければならないアンナには“社会保護法第18項によるチェルノブイリ原発事故身体障害者手帳”が交付されています。公共交通機関の移動が無料になる等の特典がある手帳で5年ごとに更新されてきましたが、彼女が18歳になる今年からは無期限で有効となります」。

 バレンチーナさん自分の娘と同じような子ども達を支援するチェルノブイリ基金のメンバーでもありました。その団体のプログラムによりヨーロッパの国々に保養に行った娘のアンナさんはその時の思い出をこう語ります。

 「私は同年代の子ども達と10人ぐらいのグループでイギリス、ドイツ、イタリアをまわりました。そこで受け入れ先の家族のところに分かれてホームステイをして、1ヶ月のあいだ観光や遠足に出かけるなどとても楽しい経験をしました。12歳までにそれぞれの国を2、3回ずつ訪れました」。

 人懐っこく談話に参加してきたアンナさんに自身の健康状態 を語ってもらいました。

 「就寝前に必ず薬を飲まなければならず、太陽の下に長時間いないようにするなど気を付けることが多いのは面倒だけど、体育の授業は休むことができるし得することもありますよ」。

 無邪気な笑顔でこたえてくれるアンナさんですが、国立教育大学ベラルーシ・中国語専攻科グループのリーダーを務める優秀な学生でもあります。

 「今は中国語を学んでいますが、韓国語や日本語も機会があればチャレンジしてみたいです。昔ハローキティのデザインを目にして、このトレンドの鮮やかなピンク色のように華やかなアジア文化をイメージして興味が出ました。日本、韓国、中国の3か国のうちどこかへ行ってみたいし、そこで語学教師になるのが一番の夢なので、難しい勉強も頑張れます」。 大きな目標に向かっている彼女は常にポジティブ・シンキングです。

 実年齢より幼く見えるアンナさんの明るい様子からは、彼女が障害者であることへの想像がつきにくいです。バレンチーナさんも「アンナ自身が好きなことを楽しんでするのが大切」と娘の心の幸せを真っ先に願います。

 インタビュー後に二人の写真を頼むと、アンナさんが物心ついた時から趣味で続けているわら細工の作品を手に撮影に応じてくれました。プロ並みの腕で編まれた美しい花と一緒に。

(田中 仁)