「のぞみ21」はステファン、ナターシャ夫婦が呼びかけ、1995年に開設した工房です。チェルノブイリ原発事故の被災者や障がいをもつスタッフが、一つひとつ丁寧に木工品やリネン製品を作っています。チェルノブイリ医療支援ネットワークでは、1999年から「のぞみ21」の作品を購入し、経済的支援を行うと共に日本でも活動を紹介しています。
ここ数年は運営が厳しい状況が続き、独立した工房もなくそれぞれが在宅で作業をしている状況です。手縫いの刺繍は時間とコストがかかってしまうため、ベラルーシ国内でも商品の売れ行きは思わしくありません。現在はスタッフが生活を維持できるほどのお給料を支払うことができないため、別の仕事をしたり、生活の一部として生活にかかわっているそうです。働く方々の生活を守るためにも、支援活動を続けています。
◇◆◇ 商品例 ◇◆◇
のぞみ21についてもっと詳しく
若者たちに、交流と経済的自立の場を
ナターシャ、ステファンの息子オレッグは、幼い頃、白血病を患っていました。原発事故による被ばくが原因でした。ナターシャはオレッグの介護を通して、被ばく者や病気の人々、障がいを持つ人々への偏見や社会的差別があることを知り、そのためにそういう人々が社会から断絶されているという問題に直面しました。手術を受け、病院から退院した人々や障がいを持つ青年たちを、社会的孤立から救い、社会的復帰と経済的自立の機会を作るため、そういった人々が集い、暖かい雰囲気の中で技術を覚えたり、お互いに交流をする場が必要だと感じました。
のぞみ21開設へ
そして1995年、ゴメリ市内の建物を改装し、工房「のぞみ21」が誕生しました。改装や修理は、元大工だったステファンが担当し、スタッフやその家族たち大勢が手伝いに来ました。遠くからうわさを聞いて、のぞみ21に入りたいとやってきた、障がいをもつ家族もいました。ところが、実際にのぞみ21を運営していくことは大変なものでした。子どもたちそれぞれの能力を引き出すにはどうすればよいか、運営の仕方など、すべてが二人にとって初めてのことでしたが、オレッグやスタッフたちに励まされ、やっと歩き出した矢先、二人を大きな不幸が襲いました。
それは、これまで工房を中心的に支えてきた、オレッグの死でした。甲状腺がん発見が遅れ、肺へと転移したことが原因でした。医療技術や医療システムが不十分で、医療器具や薬も不足しているベラルーシでは、このようなことも少なくありません。20歳という若さでオレッグを失い、悲しみに暮れる二人を支えたのは、何よりものぞみ21を必用としているスタッフの存在でした。
スタッフ紹介(2019年取材当時)
アレーシャさん
子ども服やテーブルクロスなどのミシン縫製を担当。夫のイーゴリさん、11歳のニキータ君、3歳のエレーナちゃんと暮らす。
エレーナさん
刺しゅうを担当。2001年に経営者のナターシャさんらとともに来日。自然が気に入った。