原発事故の実像(飯舘村の場合)

2011年3月11日に発生した東日本大震災が飯舘村にもたらした被害はそれほど大きくありませんでした村内では倒壊家屋ゼロでした。

飯舘村の被害は3月15日夕方から始まる核災害、福島第一原発事故による放射能の汚染でした。同日午前中まで風向きは陸から海へでした午後から風向きが海から陸に変わりました。その風により運ばれた放射性物質を含んだ雲が飯舘村を覆った時雨によって放射性物質は地上に降下しました、夜半から雪になり16日早朝には10cmほどの降雪がありました。

この様にして飯舘村の被害は自然現象がもたらした、原因は原発事故ですが何処に放射性物質を降らせるかは全くの偶然の所産でした。

その時から飯舘村の苦難が始まりました、前日(14日)村役場近くに設置されたモニタリングポストは15日18時頃44.7µ㏜/hを記録します。

土壌減衰グラフ
村内未除染の面積84%の汚染濃度約40,000Bq/Kgが事故前の値(10~20Bq/Kg)に戻るまでの時間は?

しかしその値は菅野前村長の箝口令に寄り村民に知らせられませんでした(もっとも知らせられたとしても多くの村民は私同様その意味が理解出来なかった?)。

核災害を評価する時私は被ばくのリスクの評価だと思っています、しかし前村長は44.7µ㏜/hを村民に知らせなかったばかりか事故後被ばくのリスクを一切語りませんでした。村長が本来の仕事である村民の命と財産を守る立場で行動すれば国の避難指示の有無以前に村民の健康を考え避難させるべきでした。現に双葉郡葛尾村の松本前村長は国の避難指示が発せられる前に村民を避難させ国際人権団体「グリーンクロス・インターナショナル」から「グリーンスター賞」を授与されています。

私は菅野前村長にその賞を受けて欲しかった、実際私は事故前の村長を尊敬していました、村作りのアイデア豊富、情報の発信力、行動力など見るものがありました。

しかし被ばくのリスクについては決定的に違いがありその後退任まで理解し合う事はありませんでした。村からのお知らせで「村内自生の山菜・茸は食べないで下さい」と言うが何故食べてはいけないのか?食べるとどうなるのかを知らせない。知らせなければ危険か否か?どれほどの危険なのか理解出来ない、さらに食べても直ちに健康に害が無いことや時間の経過で警戒心が薄れ日常的に摂食し内部被ばくの原因になっている、その危険性を村民に知らせるのが村長の仕事だと思うのだ。

しかし、これは飯舘村村長のレベルの問題でなく国の政策の表れだと思う。

即ち事故を境にクリアランスレベル(100㏃/kg以上の汚染物管理)の放棄、原発事故特措法では原発構内を出ると8,000㏃/kg以下にする事した、クリアランスレベルを決めたのは放射性物質は一度拡散したら戻す事は出来ないだから拡散させない為だと理解していますが国はいとも簡単に引き下げました。しかし原発構内は今も100㏃/kgの基準で運営されています、何故一般国民が原発構内の80倍の環境が許されるのか。

もう一つは一般公衆の年間追加被ばく1mSvを20mSv以下にし、年間20mSvを下回ったからと避難指示解除しました、何故福島県だけ年間20mSvを受け入れなければならないのでしょうか?。

現在訴訟進行中ですがもし認められなければ福島は20mSvで帰還した実績が残ります、不幸にして他で原発事故が発生した時“福島は20mSvで帰還した、だから帰還しなさい”と言われ世界の基準になりかねない。20mSv避難指示解除はたんに福島県民の問題でないと思います。

事故の被災当事者になって実感した事故被害の補償、賠償の問題は余りにも理不尽、不条理なものです。

補償・賠償に当たって東電は三つの誓を公表した(株主総会でも表明)。
1.最後の一人まで賠償貫徹
2.迅速かつきめ細かな賠償の徹底
3.和解仲介案の尊重
としているが何れもうたい文句だった。

実態は、加害者が補償・賠償の諸条件(範囲、期間)を決める、加害者が決めた書式でしか受け付けない、申請書類は理解しがたいほど複雑難解なものでした。

特に補償・賠償の迅速化を目的にADR(原子力損害賠償紛争解決センター)が設置され処理に当たった、しかし東電は三つの誓の「和解仲介案の尊重」をうたいながら拒否を連発しています。

他のADRは和解案拒否の場合本訴が条件になっている、その結果原発ADRでは申立人(被災者)が本訴するしかない状況です、裁判は時間と金が掛るため諦めて請求を断念している人が多いのです。

もっと理不尽、不条理な事が行政の指導で進められています、自主避難者に対する対応です。 現在福島県外に避難している方は28千人余になっています、その中には自主避難者(避難指示が無い区域からの避難者)がいます。これまでは住まいの提供、一部賠償の支払い等が行われていました、しかし避難指示が解除される都度貴方の地域は解除されたから帰還しなさいと、これまで提供されていた住居からの追い出しを始めました、退去拒否すると二倍の家賃の支払いを要求しています、何故なんの責任もない被災者に懲罰的家賃を請求するのでしょう、これが行政が行う行為でしょうか?

避難者が奪われたのは基本的人権です「安全・安心な地」、「家族と一緒に」、「地域の人たちと助け合いながら」‥‥それらがいきなり奪われ元に戻す事は出来ないこれが原発事故の実像です。

飯舘村人口推移2011年→2021年(原発事故に遭遇した村の10年後)
2011年1月2021年1月
住民登録者6,544名5,247名
高齢化率28.7%61.5%
60歳以上35.6%74.0%
著者プロフィール

伊藤 延由(いとう のぶよし)
1943年 11月生まれ
2010年 飯舘村の農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人に就く
    管理人の傍ら、水田2.2ha、畑1.0haを耕作
2011年 2年目の準備を目前に被災、6月末福島市内へ避難
11月「飯舘村新天地を求める会」を立ち上げ活動

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