チェルノブイリ通信136号

【福島レポート】原子力災害の考証は二合目へ

(原子力災害考証館furusato 鈴木亮)

福島県は浜通り、富岡町からこんにちは。

鈴木亮と申します。51歳、5歳の長女と2歳の長男の、2児の父です。生れは鎌倉。3.11から13年と4か月が過ぎます。震災支援の仕事で2012年9月に福島市に住み始め、2017年4月には浜通りの富岡町へと引っ越し、2019年9月から家族で住み始めました。今回、ご縁あって寄稿させていただく幸運に恵まれ「なんでも自由に書いてください」と言っていただけましたので、拙い文章で恐縮ですが、いわゆる「3.11」について、僕が実践している「原子力災害考証館furusato(ふるさと)」の物語を綴らせていただきたいと思います。もしこの文章を読んで、福島に行ってみようかな、あるいはオンラインの企画に参加してみようかな、などと思っていただける人が一人でもおられましたら幸いです。

原子力災害考証館furusatoとは

哲学者である故・梅原猛さんは「原発の事故は天災であり、人災であり、『文明災』である」と訴えました。著書「耄老(もうろう)と哲学」の中で、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という涅槃経の言葉で、3.11の教訓を表現されています。東日本大震災復興構想会議委員に選出された玄侑宗久和尚が梅原さんの言葉を菅首相(当時)らに届け、10年後、菅さんは「原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会」を著します。多くの有識者や活動家、当事者団体や名もなき個人が「原発なき世界」を求めましたが、その実現の道筋が見えるという人は少ないのが現状ではないでしょうか。毎月のように、3.11にまつわる書籍やアート作品、そして報道やイベントが生れては通り過ぎていきます。風化が進んでいるとも言われますが、関心のある一定の層にとっては、あれから13年の年月を経ても、血は流れ続け魂は揺れ続けています。日々、東京電力福島第一原子力発電所(いちえふ)そして第二原発(にえふ)に挟まれ、廃炉だ処理水だ帰還困難だといった報道や論争に囲まれて暮らしています。麻痺してしまわないこと、鬱にならないこと、そして絶望に沈まないことを心掛けながら、より良い未来を目指してあがいている日々です。

晴れた日には磯遊びをすることもある富岡の浜辺。
第二原発(ニエフ)の排気塔と建屋がある風景は震災前からの「ふるさとの日常」。

 震災から10年目の2021年3月12日、いわき湯本温泉の旅館・古滝屋の9階に「原子力災害考証館furusato」が開設されました。あえて3月11日ではなく、原子力災害による強制避難が始まった3月12日を選びました。(この年の3月11日には、双葉郡楢葉町の宝鏡寺に、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ 伝言館」も開設されています。)考証館furusatoの館長は、発起人であり同運営委員会代表の、古滝屋当主・里見喜生さんです。震災当時、里見さんは自らが被災していながら、救援物資受け渡しの拠点として、またボランティアの宿泊所として旅館を提供したり、NPO法人を立ち上げたりしながら、被災地のスタディツアーの企画・ガイド活動などを通じて、福島県浜通りの住民と福島県外の人々との交流を図ってきました。「何が被害を深刻化させたのか。私たちは何を失い、何に気づき、何を取り戻さねばならないのか。命の営みにとって本当に大切なものは何か。それを二度と失わないようにするために、どのような社会にしていけばよいのか。そうした一つひとつの問いに、向き合える場所をつくりたい」という思いで、「原子力災害」を「考証」する展示室を設けました。民間アーカイブ施設の先例である水俣病の「水俣病歴史考証館」や、成田闘争の「空と大地の歴史館」等をヒントに、原子力災害の被害・原因・解決のための取組を体系的に整理し、市井の人びとが取り組んできた測定や対話、伝承や裁判といった、原子力政策に根差す課題などを忖度なく扱い、伝承すべきは何か?考証すべきは何か?行動すべきは何か?を問い続け、対話し続ける場を福島に訪れる人(そして福島に生きる人々)のために作ろう、というささやかな取り組みです。その里見さんが、僕たち夫婦に「一緒にやりませんか?」と声をかけて下さいました。里見さんの人柄に惚れていたこともあり、二つ返事で「私たちでよろしければ、ぜひ」とお答えしました。

原子力災害考証館furusatoは対話と考証の空間。
中央にあるのが木村紀夫さんの汐凪ちゃん捜索現場のジオラマ。

伝承のあり方を問い続ける

 2024年現在、furusatoでは以下の7つの展示が行われています。大熊町の木村紀夫氏「One Last Hug 命を探す」、浪江町の歌人・三原由紀子氏「ふるさとは赤」、30年中間貯蔵施設地権者会「私たちが失ったもの 取り戻したいもの それは“ほんとうの笑顔”」、「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」、集団訴訟を網羅的に考証する「裁判、今どのあたり?」、避難者訴訟原告団長・早川徳雄和尚追悼展示、そして2024年3月に別室にオープンした「子どもと原子力災害・保養資料室《ほよよん》」です。木村さんの遺体捜索のジオラマには遺品の実物が触れられる形で展示され、詩や写真、書籍や報道資料、裁判の訴状なども自由に閲覧できます。誰でも触れて、寝転がって資料を読める、ちょっと変わった伝承施設と言えるでしょう。資料のほとんどは寄贈されたものです。来館者の中には「私は声を出せない。(考証館を)作ってくれてありがとう」という人もいました。未整理の資料、構想段階の展示企画は山積しています。震災伝承に特化した「3.11メモリアルネットワーク」や、公害問題をつなぐ「公害資料館ネットワーク」などと連携して毎年意見交換会やスタディツアーを不定期で開催しています。公設・官製の伝承施設は公的資金を受ける以上、風評払拭や復興の情報発信という命題を負い、展示もその制約を受けざるを得ない側面があるでしょう。一方で、考証館furusatoに限らず、楢葉町・宝鏡寺の「伝言館」や南相馬市小高区の「おれたちの伝承館」といった民設民営の伝承施設の存続は、伝承の多様性としてとても重要だと思います。福島に来られた際は、ぜひ訪問してください。北から「おれ伝」→宝鏡寺・伝言館→古滝屋・考証館furusatoの民間3施設と、双葉町の県立伝承館、富岡町の東電廃炉館、大熊町の中間貯蔵工事情報センターの公設3施設を回るルートを推奨しています。2019年にオープンした民設の双葉郡8町村の情報交流センター「ふたばいんふぉ」は「住民目線」の地元情報が入手できる貴重な施設でしたが、公設のアーカイブ施設やコワーキングスペースが復興予算で立ち並ぶ中、2024年3月、惜しまれながら活動を終えました。

(左)「楢葉町のヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」
(右)南相馬市小高区の「おれたちの伝承館」。

 水俣の地を歩くと、町の中に水俣病事件の歴史を伝える案内板がいくつも建っています。負の歴史を教訓として継承し続けるのは大変な困難さを伴います。福島、特に浜通りにもそういう万人に訴える形式の案内板が必要だと思います。施設を訪れるのは関心のある人が中心ですが、「過ちを繰り返さない」ためには、より広い層への、より直接的な訴求を諦めてはならないと信じています。

【写真】水俣・百閒排水口の案内板と、福島・エコテッククリーンセンターへの抗議の看板。
問題の現場に常設の情報掲示板がある意義を考えさせられます。

今、裁判どのあたり?

 考証館furusatoでは2023年12月に、双葉町の原子力災害伝承館にて、意見交換会「今、裁判どのあたり?」を開催しました。22年11月に「最高裁判決を超えて、多視点から原子力災害を考える」をテーマに開催した後継企画でした。避難者訴訟の金井直子事務局長にご登壇いただき、除本理史先生(大阪公立大学)、清水奈名子先生(宇都宮大学)にテーマに沿ってコメントいただきました。参加はオンラインも入れて40名ほど。動画と資料を公開しています。22年6月17日の最高裁判決(生業、千葉、愛媛、群馬の4訴訟)で「国の責任を認めず」とされてから一年半、不十分ながら東電の追加賠償と、和解の動きも進んでいますが、続く訴訟(いわき市民訴訟、愛知岐阜、千葉、宮城、神奈川)では617判決の追従が続いています。悪世末法とはこのこと。今年6月17日には判決から2年の節目ということで、最高裁を取り囲む「人間の鎖」アクションや講演が実施され約千人が集ったそうです。当日の集会のリレートーク動画からも、粘り強く運動を続けている各地の方々の想いが伝わってきます。長い動画ですが、ぜひ視聴してみてはいかがでしょうか。

水俣病では加害企業であるチッソがアセトアルデヒドを生産開始してから、公害認定されるまで36年間、汚染の継続がなされました。公害認定は1968年。チッソがアセトアルデヒド生産を中止したのと同じ年です。さらに20年後にチッソのトップに業務上過失致死罪の判決が出て、刑事責任が確定します。そして2004年に関西訴訟最高裁判決で国と熊本県の被害拡大させた責任が認められています。以降も、未認定を撤回させる訴訟は続いて、問題は半世紀を超えて現在進行形です。残念ながら裁判所が国を断ずるには、その危険な技術が別な技術(そして利権)に置き換わって初めて実現するものなのだ、と歴史は証明しています。東電の賠償の不十分さ、国策である原子力政策の責任の所在、低線量被曝における科学論争の行く末、そして奪われたものへの詫びと赦しへの道程は、未だ一合目から二合目にさしかかるあたりに過ぎないのだと思います。裁判に参加することで見えてくる「未来」があります。裁判に勝つことで始まる「反省」「教訓」「対話」があります。考証館furusatoでは、その一助となるような展示を目指しています。

【動画】今、裁判どのあたり?(2時間23分)

【動画】6.17最高裁共同行動講演・シンポジューム(2時間27分)

参考リンク:賠償訴訟一覧(セブンジェネレーションサステナビリティ)

http://nuclearpowerplant311.livedoor.blog/archives/12143668.html

一緒に考えてください

 考証館furusatoの活動を通して、ありがたいことに県外や海外から福島を訪れる人は後を絶ちません。育児や生業の傍ら、時間の許す限りガイドや対話の機会を大切にして、「原子力災害の考証」の輪を広げていきたいと思います。2030年にはICRP(国際放射線防護委員会)の基本勧告の改訂、2045年は中間貯蔵施設の放射性廃棄物県外搬出完了が予定されています。廃炉も、海洋放出も、数ある課題のひとつですが、言ってしまえば原子力災害も核兵器も、各論のひとつにすぎません。「どうすれば人類が道徳的に成長できるか」が本質的なテーマであり、そのフィールドが、僕にとっては福島だっただけ、と考えています。世界のあちこちで、それぞれの課題に立ち向かっている仲間たちがいて、時々少しの時間だけ一緒に交わることがある。その繰り返しです。福島に来て、そこで見て触れることから気付くことは多いと思いますが、圧倒的に多くの重要なものは、見て触れることはできません。この地でガイドをする難しさにいつも悩んでいます。

考証館furusato館長・里見喜生さんと古滝屋にて。
訪れてくれる人たちと時間を気にせず語らう時間が未来を変える裾野である、と確信。

 チェルノブイリ医療支援ネットワークさんの「2024年福島レポート」を読ませていただきました。訪問五回目の田中静瑠さんと、訪問四回目の平江莉子さんの文章、とても心に響きました。訪れてくれた方のレポートを読むと励まされると同時に、ガイドの至らなさ、不甲斐なさを痛感します。言えないこと、出来てないこと、価値観の押し付け、あきらめと自嘲さ。いつも不完全燃焼に苛まされます。そんな自問自答に、巻き込んでしまっているだけと言えるかもしれません。要は「一緒に悩んで考えてください」というのが、僕のスタイルなのだと思います。原子力災害の考証がようやく二合目に差し掛かったかなぁ、と思うようになったのも、多くの人とああだこうだと試行錯誤して感じた肌感覚です。こうして文章を書くのも、まったく得意ではなく、とんでもなく時間がかかってしまいます。それでも、やらないよりはずっといい。悲しいのは辛いですが、悲しくないのはもっとつらい。流れ続ける涙の分、笑える瞬間がたまらなく嬉しい。無念のまま死んでしまった多くの人たちの分も、生きようと思います。新たな出会いが、新たな考証へとつながることを信じて。

鈴木一家。富岡町、夜ノ森にて。2023年春。

【著者プロフィール】
鈴木亮(すずきりょう)
 1972年神奈川県鎌倉市生まれ。ニュージーランド育ち。98年より環境系のNPO活動に参加。震災後、2012年9月よりJCN福島担当に。福島県双葉郡富岡町在住。スズメ好き。ふたば地域サポートセンターふたすけ所長。原子力災害考証館furusatoコーディネーター。

【アクセス】原子力災害考証館furusato
いわき湯本温泉「古滝屋」9階
(〒972-8321 福島県いわき市常磐湯本町三函208)
電話:080-7028-6128
メール:furusatondm@gmail.com
https://furusatondm.mystrikingly.com/

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