チェルノブイリ通信137号

特別寄稿 原発事故と甲状腺がんの現状

2024年9月24日甲状腺がん支援グループあじさいの会 共同代表 千葉親子

はじめに

2011年3月11日、東北地方太平洋沖で大地震が発生

東日本大震災で大きな揺れと共に巨大津波が太平洋沿岸を襲いました。東京電力福島第一原発では15.7メートルの津波が押し寄せました。福島第一原子力発電所は、3月12日、1号機が水素爆発、14日、3号機の水素爆発、2号機はベントをして、それぞれがメルトダウンを起こしました。人類が経験したことの無い原発過酷事故の始まりです。福島原発事故は、多くの犠牲を強いながら、復興政策の陰に多様な課題を浮き彫りにして、13年が過ぎました。東電も国も事故の責任を認めず、事故原発の危機的状況は依然変わらないまま、帰還困難地域の避難指示は部分的に解除されました。県内の7割以上の自治体が反対又は慎重に、との意見書を採択しているにもかかわらず、国と東電は昨年、汚染水の海洋投棄をはじめました。福島県は、小児甲状腺がんについて、原発の影響とは考えられないとしています。原子炉が爆発したことで、大量の放射性核種が大気中に流出し、北は一関市、南は静岡のお茶の葉が汚染されていたとの報道がありました。(資料1)事故の起きた日の16時36分に、「原子力災害対策特別措置法第15条1項2号」の規定により「原子力緊急事態宣言」が発令されました。平常時の被ばく線量の限度は年間1ミリシーベルトですが、原発事故などの緊急時には年間(又は一度に)20m㏜から100m㏜の範囲で避難や除染の基準を決めています。しかし、13年経った現在も福島県の被ばく線量の限度は20m㏜に据え置かれ「緊急事態宣言」が発令されたままになっています。

資料1 
原子力開発機構によるヨウ素拡散シュミレーション
 

チェルノブイリ原発事故で、小児甲状腺がんの多発症

1986年の、チェルノブイリ原発事故後に小児甲状腺がんが多発し、放射性ヨウ素被ばくと小児甲状腺がんの発症が相関し、唯一原発事故による病気とWHO が認めました。福島県はその事に学び、2011年10月から、事故当時18歳以下の38万人を対象に「県民健康調査」により甲状腺エコー検査を実施しました。放射能は、自然環境を汚染し、豊かな自然がそこにありながら手にすることができず、山菜、農産物、魚介類などから、基準値を超える放射性セシウム、放射性ヨウ素が検出され、摂取制限がなされました。200キロも離れた東京金町浄水場でも基準値を超える放射性ヨウ素が検出され、乳幼児のいる家庭に、ペットボトルの水が配られました。県民生活が混迷騒然としていた、3月19日、長崎大学の山下俊一教授が福島県の要請で「放射線健康リスク管理アドバイザー」として就任しました。山下教授は着任早々「今のレベルならば、ヨウ素剤の投与は不要だ」と言って、「放射能の恐怖を取り除く」を主眼に各地で講演活動をしていました。有名な言葉に「ニコニコしている人には放射能は来ない」「年間100m㏜まで浴びても病気にならない」などと話していました。不安に思っていた県民も、「そんなに怖がらなくても、避難しなくてもいいのだ」と思った方も少なからずいたことも事実です。山下氏はわずかその4日後の23日、SPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の結果を見て「ありゃーと思いました」「まさかこんなに広範囲に汚染されているとは思わなかった」「日本の原発にはフイルターが付いていると思った」「避難した住民は国の指示でヨウ素剤を飲んでいると思った、服用すべきであった」(朝日新聞2013年11月8日プロメテウスの罠)等などと「放射線健康リスク管理アドバイザー」として県民の健康を守るべき立場の人とは思えない言葉に驚きました。原発事故が起きて、被ばくによる一歳児の甲状腺等価線量が100m㏜以上になる時には、安定ヨウ素剤を飲むべきとするWHOの指針がありました。チェルノブイリ原発が事故を起こしたときも。旧ソ連は事故を隠していました。事故を公表せず、安定ヨウ素剤は配布されなかったと聞きます。ウクライナやベラルーシでは100m㏜以下の被ばくでも、小児甲状腺がんが増加しました。ポーランドでは、チェルノブイリ原発事故を疑い、知り、ヨウ素剤を配布し、小児甲状腺がんが増えなかったとのことです。そのことから、WHOは、未成年や妊婦は1歳児の甲状腺等価線量が100ではなく10m㏜を超える被ばくが予想されるときは安定ヨウ素剤を飲むべきと、1999年に指針を変更しました。しかし、当時の原子力安全委員会(山下俊一、鈴木元、明石真言)はその指針を受け入れず、従来通り年齢に関わらず100m㏜のままにしていました。

放射性ヨウ素と甲状腺

放射性ヨウ素の半減期は約8日間です。昆布や海産物などを常に食べ甲状腺にヨウ素が十分あれば放射性ヨウ素は取り込まれにくく、甲状腺がんにもなりにくいのです。甲状腺にヨウ素が不足していると、放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれ、がん発症の危険性が高まります。原発事故のような大量の放射性物質の拡散を予想される時は、安定ヨウ素剤を服用すれば、がんの発症の危険性が軽減されます。(資料2)福島原発事故では、それらのことを予測できたにもかかわらず、対策がなされませんでした。日本では、原発から5キロ圏内の自治体住民にはあらかじめ配布をし、30キロ圏内は、事故が起きてから配布を検討することになっています。双葉郡内11市町村は被ばくが予想されながら、実際に配布され服用したのは、原発作業員や福島県立医大関係者と原発立地の双葉町、大熊町の自治体と、自主的判断でヨウ素の配布を実施しました三春町だけでした。

資料2
出展 (財)原子力安全研究会:緊急被ばく医療研修のホームページ
http://www.remnet.jp/lecture
/b03_03/index.html

県民健康調査と甲状腺がん患者を取り巻く社会現象

平常時、100万人に1~2人の割合で見つかっていた小児甲状腺がんですが、甲状腺検査の1巡目(2011年~13年)が行われ、約30万人が検診を受け、その内116人が悪性ないし、悪性疑いと診断されました。102人が手術を受け101人が、がんと確定されました。(うち1人は良性)。2巡目(2014年~15年)は、約27万人が検査を受け71人が悪性ないし悪性疑いと診断されました。その内33人は1巡目では異常なしと診断されていました。検査報告をした県民健康調査検討委員会は「甲状腺がんの罹患統計から比べて数10倍多く発見されている」としながら「将来的に死に結びついたりする事が無いがんを多数診断されている可能性がある」と発表し過剰診断論を示唆していました。福島県立医大で多くの患者の手術をしている鈴木眞一教授は、2019年の日本内分泌学会で「医療倫理に従って手術をしている、切らなくても良い患者はいなかった」と否定しています。2015年検討委員会は中間報告を発表しました。「被ばくの影響とは考えにくい」として、チェルノブイリとは違うと5つの比較をあげました。

①チェルノブイリより被ばく量が少ない
②発がんまでの期間が短い
③事故当時5歳以下の子どもはいない
④地域差がない
⑤将来死に結びつかないがんを多数発見している。

と報告しました。2024年8月、第52回「県民健康調査検討委員」で公表された悪性ないし悪性疑いの患者は338人と報告がありました。

患者、家族をつなぐ

甲状腺がんは被ばくの影響とは考えられないという喧伝が、患者家族に不安や悲しみを与えました。県民健康調査では「スクリーニング検査で見つけなくてもいいがんを見つけている」と言われ、甲状腺検査とか被ばくを話題にすると「まだそんなこと言っているの、福島が汚れているみたいに思われる」と復興に影響が出ると「風評加害者」扱いにされ、口にすることも憚られ、孤立状態にありました。2016年「甲状腺がん支援グループあじさいの会」を家族、当事者、支援者で立ち上げました。「差別を受けるのではないかという恐怖で長い間誰にも言えなかった」と、同じ悩みを抱えた人が話し合う事で安心して話し合える居場所となりました。概ね2カ月に一度の定例会を持ち、カフェ事業(お茶会、調理実習、体力つくり)アウトリーチ事業(医師相談会、学習会)調査アドボカシー事業(講演会、情報の収集、意見交換会)などを通して、(資料3)理不尽な事が浮き彫りになってきました。様々な課題や意見を、県や国に対し要望活動を行いました。

資料3 
出展 あじさいの会

2022年1月欧州連合(EU)が、地球温暖化対策に二酸化炭素を出さない原発を、地球温暖化対策に質するグリーンな投資先として認定する方針を示したことに対し、元首相経験者の5氏(村山、小泉、細川、菅、鳩山、)が、原発推進は未来を脅かす「亡国の政策だ」と批判し、方針の撤回を求める書簡をEUに送りました。その書簡の中に「福島では多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ」という記述がある事に対し、国や県は「復興に頑張っている福島県がいわれのない差別や偏見を助長する」と抗議をしました。内堀県知事は、定例記者会見で、「復興に邁進している福島県にとって実に遺憾である」とコメントをしたのです。小児甲状腺がんの多発と、がんに苦しむ患者の存在は事実なのに、知事が「遺憾である」と、政府と同じようなコメントを発表したのをニュースで見た家族は「私の子どもは遺憾な存在なのですか」と憤り、あじさいの会は患者・家族と共に、知事に対する抗議の質問書を提出しました。県は、被害者に寄り添い、甲状腺検査で早期発見・早期治療の機会を保障し、甲状腺がん多発の原因解明に先頭となって取り組むべきなのです。また、同年7月、UNSCEAR(原子力放射線の影響に関する国連科学委員会)の委員が2020/2021年報告書を持って来日しました。驚くことに、福島県の乳幼児の事故一年目の甲状腺平均吸収線量は2013年報告にくらべ推定値が大幅に低くなっているのです。その理由として、

①日本の建物はコンクリートで放射能の遮蔽があった。
②日本人は昆布など海産物をたくさん摂取しているから甲状腺に放射性ヨウ素の取り込みは少ない。
③日本は出荷制限が早かった、

などがあげられています。そして、甲状腺がんを含めたあらゆるがんは、全ての年齢層に増えていないし、今後も増えない。次世代への影響も起きていない、と結論づけていました。その結論に導いた日本からの資料提供には、嘘とデータの誤りがあると、高エネルギー加速機器研究機構の黒川眞一名誉教授が「間違ったデータやグラフが複数ある」「論文引用の誤りで科学的な基礎知識に欠ける」と、デタラメ報告書の撤回を求めました。また、3・11甲状腺がん子ども基金代表理事で医学博士の崎山比早子氏は「日本人は和食で食品からヨウ素を摂取している」として50年前の日本人の食習慣を根拠にしたデータを基に放射性ヨウ素の被ばく線量を半分に推計したことを問題視し「今の食事は欧米化並み、世界平均と変わらない」と指摘し「報告書は明らかな過小評価」と反論しました。現場、現状とはかけ離れた報告書に驚き、あじさいの会は来日した、UNSCEARの事務局長に、患者と共に抗議書を手渡しました。国、県と原発推進側にとって「国際的な専門家の知見は・・・」とUNSCEAR報告書は原発事故の被害を矮小化する推進側の大きな後ろ盾となっている事は明らかです。

原発回帰と世論形成に抗う

UNSCEAR報告書以後、急速に岸田政権は原発回帰に舵を切りました。2022年には原発再稼働を発表し、23年にはGX脱炭素で電源法成立、新増設や60年超運転を認めました。今年8月には柏崎刈羽そして女川原発再稼働と福島第一原発の過酷事故を忘れたかのように原発回帰政策を推し進めています。「過剰診断」だとして、県民健康調査での甲状腺検査を縮小に向かわせ、原発の影響とは考えられないとして事故の過小評価へと世論を導いて世論形成がなされてきています。最近、ハフポスト日本版の取材で緑川早苗氏が「甲状腺がんは放射線被ばくの結果ではない」「子どもたちの善意を犠牲にした理論的に問題のある検査」としてインタビューを受け、3回シリーズで掲載すると知りました。「被ばくの影響とは考えられない」という前提で、原発事故に関わる多くの事が、実態とはかけ離れたところで、語られ、誤ったデータで決定付けられていることの理不尽さを改めて実感しています。福島の現状の正しい情報を私たちは伝えて行かなくてはならないと思います。

沈黙を破り若者6人が集団提訴!!(資料4)

資料4 
出展 あじさいの会

2022年1月、事故当時福島に住んでいた6歳~16歳の男女6人が東電に対して健康被害に対する損害賠償を求め集団訴訟を起こしました。裁判は2024年9月11日、第11回目を迎えました。東京地方裁判所前に多くの支援者が集まりました。今回も207人が85席の傍聴券を求め並びました。裁判所には原告一人ひとりの意見書が提出され、若い6人の原告は自らの言葉で意見を述べてきました。発症年齢が若いことで、進路、就職、結婚など様々な制約がおきることは事実です。悩みや不安にさいなまれたこの年月を、言葉にしました。「今まで甲状腺がんの事を誰にも言えなかった」「中学2年生で甲状腺がんと宣告された時は驚きました。再発の時は驚く事もなくただ残念だった」「生涯薬を飲まなくてはなりません」「大学2年生の時宣告されました」「何も聞いていないのに、医師から原発事故とは関係ありませんと言われました、なぜ言い切れるのか辛い気持ちになりました」「遠隔転移もあり完治は難しい、将来がとても不安です」噛みしめる言葉は涙に震えていました。なぜ若者たちが勇気を持って裁判に立ち上がったのか、初期被ばくの調査もされず、嘘、隠蔽、データ改竄に、不信を募らせ、あった事を無かったことにはさせられない思いがが、若い患者の背中を押したことは言うまでもないと思います。この裁判で、UNSCEARの問題、県民健康調査の問題、被ばくの問題、非科学的な問題が一つずつ解き明かされてくることでしょう。同じ思いを抱えた患者がたくさんいるのだということに国も県も、再認識してほしいと思います。「なぜ私が甲状腺がんになったのか知りたいのです」という、患者の素朴な問いかけに司法はどのように答えるのでしょうか、科学的にも人道的にも、原発事故被害の実態が明らかになる重要な裁判をいま闘っています。

(次回:第12回口頭弁論の予定は12月11日(水)14:00~ 東京地裁103号法廷)

千葉親子
甲状腺がん支援グループあじさいの会 共同代表
福島県会津坂下町元町議。
精神障害者の家族の会を立ちあげるなど福祉活動に取り組み、2016年に厚生労働大臣賞受賞。
精神保健福祉ボランティア「ビオラ の会」会長

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