チェルノブイリ通信137号

福島だより 飯舘村の秋

1.  飯舘村

飯舘村は自然が豊かな村、「日本で最も美しい村連合」に加盟が許されている村です。秋は春の山菜に次ぐ自然の恵みが実る季節です。

村の木が「赤松」、赤松の林には松茸を筆頭にたくさんのキノコが出る、猪鼻茸(香茸)、舞茸などの高級キノコをはじめ、栗、アケビ、クルミも。

2. 一生分を上回る松茸を食べた話

2010年春に入村し、村の木が赤松で松茸が採れると聞いた、近くの人に松茸採れたら持ってきてと頼んだ。9月末頃の夕方、松茸採れたよー!と。

800グラムほどでした、えっ、国産松茸800グラム、最低でも5万円くらい払う?、内心心配しました。いくら払えばいい?と聞いたら5,000円でいいよとの答え、ほっとしたものです。その時私は66歳、この年一年で食べた松茸は、それまでの66年間で食べた松茸を上回った、信じがたい出来事でした。

松茸(2015年)

2015年産の葉松茸は29,000 Bq/kg(国の食品基準の290倍)でした。

ホウキダケモダシ(2024年)

2024年産のホウキダケモダシは116,500 Bq/kgでした

3. 城を明け渡した話

村内では松茸のほか、猪鼻茸、舞茸などの高級キノコが生える場所を“城”と呼び、その場所は親子でも教えないと言われ守られていました。

近くに住む城の持ち主の赤石澤さんが、2013年の秋に、イヤー昨日も城に行ったが松茸がニョキニョキと出てた、ほかの人に見つかると悪いから崖下にけり落としてきたと話していたのを聞きつけた。赤石澤さん、食べないけど測りたいから採れたら頂戴と頼んだ。

翌2014年の秋、赤石澤さん松茸採れたらお願いしますと申し出たら、明日の朝行くからついて来いと、えっ!連れてってくれるの。親子でも教えない城の場所を、村に来て三年ばかりの赤の他人に教える?。原発事故が城を明け渡させたのですね。

その翌年も、翌々年も連れて行ってくれた、2017年の秋に、今年も宜しくとお願いしたら、もう三年も連れて行ったんだから一人で行けと言われましたが、中々一人ではいけません。2012年には遭難騒ぎもありました。

汚染度合いはキノコの菌種によって異なりますが、昨年でも国の基準値(100Bq/kg)の500倍ほどのキノコもあります。菌種によっては生えている土壌(腐葉土層など)の汚染よりも濃い濃度のセシウムを含むキノコがあります、キノコ自身が体内濃縮をしていると思われるキノコもあります。

4. 測ってみないと分からない(栗の汚染)は

村内には自生の栗(山栗・シバグリ)と栽培種の丹波栗などがたくさん生産されていました。

No. 1の長泥地区は、飯舘村で汚染が激しく昨年5月にようやく避難指示が解除された地区(長泥地区以外は2017年3月末解除)です。沼平は現在筆者が居住している地域です、しかし今年の測定の結果は、長泥が一番低い値でした、沼平の栗の汚染は8倍の違いがありました。

5. 測ってみないと分からない(木の皮の汚染)

杉の木の皮の部分を測ってみました、汚染が一番激しいはずの長泥地区と小宮地区の汚染を比較すると約二倍の差がありました(汚染が高いはずの長泥が小宮の1/2でした)。

桜の樹皮(樹皮についた苔と黒い粒子状の物)は71,500Bq/kgでした。これらは、2011年3月15日に付着したもので、13年を経ても付着したままです。測定すると、樹の上部よりも根本部分が高い結果です、これは13年間の雨で少しづつ流れ落ちた結果です。

これらのデータから、豊かな自然の恵みが復活するのは200年~300年?。セシウム134(半減期約2年)が消え、現在の汚染源はセシウム137が主、半減期が30年ですから、100年で1/10、300年で1/1000です。

原発事故からの復活は容易でないことがお分かり頂けると思います。原発事故は罪深い!。

伊藤 延由(いとう のぶよし)

1943年 11月生まれ
2010年 飯舘村の農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人に就く。管理人の傍ら、水田・畑を耕作。
2011年 2年目の準備を目前に被災。6月末福島市内へ避難。11月「飯舘村新天地を求める会」を立ち上げ活動。

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