被災地の今:飯舘村

今回の訪問では飯舘村在住の伊藤延由さんに村内を案内していただきました。伊藤さんは2010年に飯舘村へ移住し、震災後は避難生活を経て再び村内で生活をしていらっしゃいます。

自然豊かな町 飯舘村を襲った震災

飯舘村は石材の町で昔は「医者か石屋か」と言われていました。村の75%を山林が占め、1日の寒暖差が大きいためおいしい農作物が採れます。震災以前は近くの市場でも高値で野菜が取引されていたそうです。

村役場の石像
村役場の石像

2011年3月11日、飯舘村も強い揺れに襲われるも地盤が固かったため倒壊した家屋はありませんでした。停電が発生し、13日の午後まで続きました。ラジオも雑音が多く、伊藤さんが原発事故を知ったのは通電後だったそうです。事故後、飯舘村へ避難してきた人もいましたが、19日に飯舘村も避難対象になったため全員避難することになりました。

飯舘村の大部分は福島第一原子力発電所から30km以上も離れています。それなのになぜ避難が必要なほど汚染されてしまった原因は偶然の自然現象にあります。陸から海へ吹いていた風が3月15日の午後に海から陸への風へ変わり、放射性物質を含んだ雲が飯舘村を覆いました。そして放射性物質を含んだ雨が飯舘村に降り注ぎました。

避難指示が解除されても戻らない村民

2017年に村内の大部分の避難指示は解除されましたが、帰還した村民はわずか30%です。事故前は約6,500人だった村民のうち帰還したのは約1,200名。その70%を60歳以上が占め、未成年は30人ほどです。転入者は180名ほどいるそうです。

村内で食事ができる場所は3か所、食料品が購入できる場所は道の駅だけで、村で手に入らないものは隣の町まで車で30分以上かけて買い出しに行かなければなりません。震災前にできたばかりの診療所は火曜と木曜の午前中に内科・外科の診療が行われているのみです。帰還者が少ないため、車がないと生活を送ることもできません。

道の駅 までい館
土産店、飲食店、コンビニエンスストアが入っています
村役場
屋根の一部は2021年2月13日の地震でずれてしまいました

除去土壌再利用計画が進む長泥地区

村内でまだ避難指示が解除されていない場所が長泥地区です。村の中心部から民家もない山林を抜けると長泥地区へと続くゲートが見えてきます。手に持った線量計の数値もどんどん高くなり、民家の少ない場所では除染が完了していることになっていても線量はまだ高い傾向があるようです。草木が多い場所では放射性物質を含んだ落ち葉が側溝にたまり、線量が高くなってしまうことがあるそうです。

環境省はこれまで二本松市や南相馬市でも除去土壌の再利用を計画していましたが、いずれも中断しています。長泥地区では中止になることなく実証実験が進められています。この地区で行われている実証実験は除去土壌(5000Bq/Kg以下)の上に汚染されていない土をかぶせて農作物を作るというものです。

長泥地区へとつながるゲート
ゲート周辺の様子

「山の緑はすべてセシウムの色なんです」と伊藤さんは話していました。山の木々のは一枚一枚に含まれる放射性物質の量は微量でも、総量で考えるととんでもない量になります。山頂付近の放射性物質は雨で低い場所へと流されてしまうため線量は下がる傾向にありますが、流れてきた放射性物質がたまる中腹~山裾は線量が低下するどころか上がっている場所もあるそうです。

村内唯一の原発30km圏内 蕨平

飯舘村は原発30km圏外だといわれていましたが、実は30km圏に含まれる地区がありました。その地区が蕨平です。誰もその認識がなかったため避難が遅れてしまいました。現在は避難指示が解除されていますが、帰還したのはわずか5~6世帯ほどです。

この地区に2015年に建設されたのが減容化施設です。民家がほとんどない道を進むと、巨大な建物が目の前に表れました。減容化施設とは除染や家屋の解体で出た廃棄物を燃やすための施設です。約420億円をかけて建設され処理能力は1日240トン、稼働期限は5年とされました。大気中に放射性物質が放出されるのではないかという懸念がありましたが、雨水をためて測定したところ検出はされなかったそうです。現在は稼働期限を迎えたため運転を停止しています。今後は更地に戻し、バイオマス発電所が作られる予定になっているそうです。

減容化施設
減容化施設

除染の効果と限界

除染は宅地・農地・道路とそれぞれの境界から20mに対して行われました。除染によって表面の土を削り取られた田畑には山の土が戻されました。田畑に戻す土を作るため、飯舘村では山が削り取られてなくなってしまいました。

村民の大切な生活範囲である山林は除染の対象となりませんでした。訪問した当時、村内で除染が完了したのはわずか16%でした。それでも飯舘村の除染で出た廃棄物はフレコンバック174万袋。その他にも枝や葉を集めたフレコンバックが70万袋になり、こちらは減容化施設で焼却処分されました。大部分のフレコンバックは中間貯蔵施設へ運搬されましたが、このフレコンバックを覆う遮へい土のうも現在問題になっているそうです。

除染によって削り取られてなくなった山
遮へい土のう(手前)

認定こども園や学校が集まる文教地区でも除染の限界がうかがえます。施設周辺の道路は除染により線量は0.1 µSv/時ほどですが、このエリアから10mほど離れた地点では0.7 µSv/時でした。施設すぐ近くの山も全てが除染されたわけではなく未除染のエリアも残っているので、子ども達が入って被ばくしないか心配です。

線量計を持って飯舘村を回ると、道路の中央と山側、田んぼの中央と外側などちょっと場所を変えるだけで線量は全然違う値になります。モニタリングポストから10m離れると2倍、山側へ移動すると3倍の値になることもあるそうです。原発事故による被ばくは24時間365日続き、回避することもできないうえ医療被ばくのように代わりに得られるメリットもありません。このような事実があることを認識するだけでも、自分や大切な人の被ばくリスクを下げることができるのではないでしょうか。

モニタリングポストは正確なのか

モニタリングポストは村内の至る所に点在しています。線量が低いところでは 0.16μSv/h 程度でしたが高いところでは 0.7μSv/h と大きな差があり、村内でも汚染レベルが場所によって違うことがわかります。モニタリングポストは設置する場合に周辺の土地をきれいに整地することになっています。整地することでモニタリングポストの周辺だけ除染された状態になってしまい、モニタリングポストから少し離れると放射線量が大きく異なるという事態も発生しています。

上の写真の場所ではモニタリングポストの値は 0.58μSv/h で伊藤さんの線量計で測定してもモニタリングポストのすぐ近くだと同じくらいの値になりました。ところが 2m ほど離れた場所で測定したところ測定値は 0.92μSv/h と大きく線量が上がりました。この差がこの先 10 年、20 年と蓄積していく、記録だけでも残すべきだと思うと伊藤さんは話していました。