福島県とは
東北地方の南に位置している日本で3番目に広い都道府県です。阿武隈高地、奥羽山脈を境として会津地方、中通り、浜通りの3つの地域に分けられます。県のほぼ中央には日本で4番目の広さを誇る猪苗代湖が位置しています。
震災や原発事故で被害が大きかったのは太平洋側に位置する浜通りです。浜通りは冬でも比較的暖かく、あまり雪は降らないのが特徴です。一方の会津地方や中通りの冬は寒く雪が降り、特に会津地方ではウィンタースポーツが盛んです。
2011年3月11日 東日本大震災の発生
恐怖を感じるほど強い揺れが続いた
東日本大震災が発生した2011年3月11日、福島県内の中学校では卒業式が行われていました。卒業式も終わった14時46分マグニチュード9、最大震度7の大地震が発生、福島県内でも震度6強の揺れが観測されました。縦揺れと横揺れが長時間続き、立っていられないほど。転倒を免れた家具も10数センチ動いたという話も伺いました。卒業式が終わったばかりの体育館には片づける暇もなく避難所が開設されました。
巨大な津波が何度も沿岸部を襲う
地震の後に発生した真っ黒な大津波は一度だけでなく、何度も沿岸部を襲いました。 いわき市の薄磯地区は8.51mの津波に襲われ、111名が命を失いました。相馬市では沿岸から4kmまで津波が流れ込み、458名が亡くなりました。福島県はこれまで津波の経験がなく、地震の後は津波に警戒するという意識がありませんでした。津波警報が出て、「本当に津波なんて来るのか?」といって海へ様子を見に行って、巻き込まれた人もいたそうです。家族が逃げ遅れている可能性を知りながらも、自宅ではなく高台へ向かって車のハンドルをきった人もいました。(逃げ遅れた家族は命を失いました。)
当たり前の日常が一瞬で奪われた
相馬市にある伝承鎮魂祈念館では今も持ち主の分からないアルバムが展示されていました。どれも水にぬれたためでしょうか写真の一部は見えなくなっていましたが、幸せそうに笑う子どもの写真や何気ない日常の風景の写真を見るとなんとも言えない気持ちになりました。当たり前のようにそこにあって、これまでもこれからもずっと続くと思っていた「日常」が一瞬で奪われてしまった。津波の恐ろしさを感じました。
自分の命は自分しか救えない
語り部の方のお話で一番印象に残った言葉です。地震の後の津波の予想は当初の2mから10mへと情報がだんだんと変わっていきました。災害直後は不確実な情報もあるため行政やマスコミの情報だけに頼るのではなく、自分で考え納得できる行動をとることが大切だとおっしゃっていました。自然災害に想定外はありません。その時にどう行動するか物の準備だけでなく心の準備もしておくことが大切だと強調していました。
災害に備えて今できること(いわき伝承みらい館 語り部の方より)
・家族で避難先を決めておきましょう
津波の危険がある場所にはたとえ自宅でも絶対戻らない
・非常持ち出し袋の中の衣類はビニール袋に入れておきましょう
津波や雨で濡れてしまっても、乾いた衣服に着替えることができます
・チョコレートや飴玉は常に携帯しておきましょう
手軽にエネルギーがとれます
・連絡帳を作成し、携帯しましょう
携帯電話が使えなくても連絡先が分かるだけでなく、
万が一の場合自分の身分証明ができます
・常備薬一覧表を作成し、携帯しましょう
お薬手帳よりかさばらず、違う薬局で処方してもらうときに便利です