野良に子供たちの歓声が響く里山の再生のために -3.11からの教訓を考える-

NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会
遊雲の里ファーム主宰 菅野正寿

「主体はあくまでも農家」大学研究者との実態調査

 2011年3月11日の東日本大震災と原発事故から2か月後にいち早く日本有機農業学会(新潟大、茨城大、東京農工大、横浜国立大、福島大など)の土壌学、森林学、農村社会学、作物の専門家が、福島県二本松市東和地区の農家住民と共に放射能汚染による里山の実態調査に入った。東和地区では住民主体のNPO法人が組織されていて、自ら測定して放射線マップづくりに取り組んでいたからである。

NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会は2005年の平成の大合併を前に、旧東和町(人口約6,000人)の農家と商店を中心に設立した(会員250名)。

有機農業の産直に取り組んできた農家、荒廃した桑畑を再生し、健康食品の桑茶、桑パウダー、桑の実などの生産者、特産品づくりの商店、都市との交流活動、健康づくりのグループなどが1年かけて議論し、地域資源循環のふるさとづくりを目的として、道の駅ふくしま東和の指定管理も受けて事業を展開してきた。

過疎、中山間地域が合併によって過疎に拍車がかかるのではないか、これまでの有機農業の産直を通した都市との顔の見える関係を継続していきたいとの強い思いがあった。

行政頼みの地域づくりから住民主体の地域づくりをめざした。道の駅ふくしま東和を地域づくりの拠点として、「田畑が荒れれば心も荒れる」との危機感から、「農地の再生」「山林の再生」「地域コミュニティの再生」をかかげ、「里山再生プロジェクト」に取り組んでいた。新規就農者の受け入れも30名を超え、道の駅の販売事業、産直事業、特産品の販売で事業売上高が2億円に達したときに原発事故は起きた。

この里山再生プロジェクトがあったからこそ、有機農業学会の研究者と共に「里山再生・災害復興プロジェクト」として、土壌、農産物、山林、水の放射能汚染の実態調査、さらに婦人の方を中心に健康、地域コミュニティの総合的な里山の再生の取り組みをすすめることができたといえる。

  2011年の夏には支援をいただいた農産物の測定器が道の駅に設置され、野菜、果物、山菜、米の放射能測定が始まっていく。汚染された土でとれたものに不安が広がるなか、収穫したジャガイモを持ってきた生産者のばあちゃんが、「これなら孫に食べさせられる。」と測定した結果に安堵した顔は今でも忘れられない。じいちゃん、ばあちゃんにとって野菜づくりは家族のためであり、生きがいなのだ。

 新潟大学・土壌学の野中昌法先生が「里山再生・災害復興プロジェクト」のリーダーとして、農家と一緒に田んぼや桑畑に何度も足を運んだ。「現場にこそ真実がある」との強い思いが先生にはあった。

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」として足尾鉱毒事件の真実を訴えた田中正造と野中先生は同郷の佐野市である。野中先生は新潟水俣病事件にも研究者としても社会活動にかかわっていた。「足尾鉱毒事件、水俣病事件の教訓、さらにチェリノブイリ原発事故の教訓を活かさなければならない」との強い意志が先生には流れていた。「農業を続けることによって必ず土も再生できる」との先生の言葉どおりに、2012年には耕してつくった米、野菜はほとんど不検出となっていった。しかも有機的な土壌ほど放射性セシウムが吸着、固定化されることが証明された。私の水田土壌も3,000㏃/㎏であったが玄米は不検出であり、棚田の用水も放射性セシウムが山林に固定化されて水田への流入も激減していった。わらともみ殻には50~100㏃/㎏が検出されたが、2015年からはこれも不検出となっていく。この土の力とイネの力をあらためて感じている。

どんな冷害や旱魃があっても温帯モンスーンの気候の日本の稲作が約3,500年も続いてきたのは、この土の力と稲の力があったからではないかと思うのだ。

生産とくらしが一体としての里山の再生のために

「山の落ち葉は使えるのか」という不安が農家にはいまだにある。腐葉土をつくってきた農家は一時購入せざるをえなかったが新しい落ち葉は使えることが証明されてきた。二本松市はタケノコや山菜はいまだに出荷停止が続いている。炭焼きは大丈夫なのか、薪ストーブはどうなのか。福島県の70%を占める山林の除染は手付かずのままである。くらしと一体としてあった里山・山林の再生が次の課題である。大学研究者と共に落ち葉も山菜も樹木も測定を継続しながら活用を図る方策をすすめなければならない。

山菜だけでなく、梅干しやたくあんなどの漬物が道の駅から激減している。竹細工、わら細工など里山と共にあったくらしの技が失われてはならない。農業の6次化というのであれば、このお年寄りの技と食文化にこそ支援の手をさしのべるべきである。

 私の住む二本松市太田地区の商店街には、廃業してしまっているが、下駄屋、たまり屋、豆腐屋、麹屋、鍛冶屋などの屋号でよばれている。かつて農家が大豆を持っていき豆腐に、米を持って麹にしていた。農家と商店が連携して地域循環のしくみがあった。地域に豆腐屋、麹屋、たまり屋を復権させて経済循環の農商工連携にこそ支援の手を向けるべきではないかと考える。

今、福島県ではイノベーション・コースト構想という名で避難解除された浜通りを中心に植物工場、水素工場、ロボットフィールド産業都市が建設されている。

農薬散布や肥料散布のためのドローン基地も整備されている。企業、大学をも巻き込んでこの3年間で3,000億円もの復興予算が使われている。大手資本を誘致する構造は原子力ムラの構造と変わりはない。浪江町の商工会の方が、「地元の意見も聞かず、雇用も生み出さない。」と話す。

大規模農地整備をし、空から農薬を散布し、無人の大型トラクターを駆使する農業は持続可能な農業といえるのだろうか。地域コミュニティが戻るのだろうか。

子どもたちやお年寄りが追い出される、地域コミュニティや生活文化が失われ、多様な人と人のかかわりや多様な生き物の世界が失われていくとしか思えてならない。

このイノベーション・コースト構想と対峙した、多様な農業による生態系の環境を守り、家族農業と集落営農を組み合わせた地域経済循環の持続可能な共生のありかたを提案していくことが大切ではないかと思う。子どもたちの豊かな教育力を育む、お年寄りの自給と生きがいをつくる地域づくりが求められると思うのだ。

羽化したトンボのヤゴ
障がい者の皆さんのはせがけ

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