原発事故と先の見えない避難

貧しい東北の村に富をもたらした原子力発電所

原子力発電所が建設された地域は貧しい村で、冬は厳しい寒さで農業ができないため東京へ出稼ぎに行ってお金を稼いでいました。原子力発電所は地元の雇用を生み、人々の財布は潤いました。その結果、家や車が買えるほど人々の収入は増加しました。子どもが書いた作文にも原発のおかげでいろいろなものが手に入るようになり、感謝を表す言葉が書かれていました。

東日本大震災・原子力災害伝承館
震災の発生~現在~廃炉作業について紹介されています

巨大津波が原発を襲う

2011年3月11日に発生した巨大地震で福島第一原子力発電所は緊急停止、外部電源を喪失しました。その後襲来した 15m ともいわれる巨大な津波の襲来をうけ、冷却設備を含む様々な設備が停止しました。その結果原子炉内の冷却ができなくなり、燃料が露出、発生した水蒸気は燃料と反応し水素へと変化しました。その結果、3 月 12 日には 1 号機、14 日には 3 号機、15日には 4 号機が水素爆発を起こしました。2 号機は 1 号機爆発の影響で天井の一部が飛んでいたため爆発を逃れましたが、放射性物質の放出は 2 号機が最も多かったといわれています。定期検査中だった 4 号機は当時運転を停止していましたが、3 号機から配管を伝って水素が流入してきたため水素爆発を起こしました。

津波の到達位置を示す看板
(いわき市薄磯地区)

行き先もいつ帰れるのかも分からないまま避難が始まった

原発事故と前後するように付近の住民へ避難指示も出されました。当初は2km圏内とされていましたが、3km、10km と避難指示はどんどん広がっていきました。住民たちは着の身着のまま避難し、刻々と変化する避難指示に何度も避難所を変えなければなりませんでした。避難のためのバスもどこへ行くのかはわからず、とにかくバスに乗るしかありませんでした。お話を聞いた語り部の方は数日中に家に帰れると思い、ペットを家に残したまま避難をしたそうです。後日一時帰宅したときには犬は家に残っていたものの、猫はいなくなっていたと寂しそうに話していました。

福島第一原子力発電所のこれから

事故後10年が経過し、福島第一原子力発電所構内のほとんどのエリア(約95%)が一般作業服でも作業ができるレベルに放射線量が低下しました。3号機、4号機は使用済み燃料プールから燃料の取り出しが完了し、1 号機、2 号機も燃料取り出しに向けた作業が進んでいます。現在は燃料デブリ(溶けた核燃料とガレキなどが混ざり、固まったもの)の取り出しに向けた技術開発が進められているそうです。廃炉作業が完了するまで30~40年はかかるといわれており、まだまだ道半ば無事に廃炉作業が終わることを願うのみです。

東京電力廃炉資料館
廃炉作業のこれまでとこれからが紹介されています。