被災地の今:富岡町

奪われた当たり前の日常

富岡町は福島県の太平洋側の中ほどに位置する町です。震災前は16,000人弱ほどが住んでいました。震災後は津波にも襲われ、富岡駅や富岡漁港の看板は倒れ、ゆがみ、建物の骨組みだけが残る無残な姿になりました。高台にあった市役所などの施設は津波に襲われることなく無事でした。災害対策本部は文化交流センター学びの森の大会議室に置かれました。停電で電話も使えない中、原発関連の情報は数十m離れた場所にある市役所にしか入らなかったため、何度もこの2か所を走って情報伝達が行われたそうです。会議室のホワイトボードには次々と情報が書き込まれていきますが、ここが使用されたのはたった一日でした。

富岡駅
津波で流されたため、再建されました
電車は1~2時間に1本程度です

翌日の3月12日に原発20km圏内へ避難指示が出され、富岡町は全員で川内村に避難することになりました。避難所や対策本部を片付ける暇もなく住民は次の避難場所へ移動していきました。それから5年以上にわたりふるさとへ帰ることができなくなるとは誰も思わなかったことでしょう。さらに、16日には川内村も避難対象となり、最終的に郡山市のビッグパレットふくしまへ避難することとなり、町役場・災害対策本部も郡山市へと移されました。

ふたばいんふぉ
双葉8町村の現状を伝える施設です
パネルにわかりやすくまとめられています
ふたばいんふぉ

避難指示解除後も戻らない住民

2017年4月1日に一部の帰還困難区域を除き避難指示が解除されましたが、現在も町外で生活している住民の方も多く、郡山市には役場の支部が置かれています。2020年3月10日には帰還困難区域のうちJR常磐線夜の森駅と周辺の道路の避難指示も解除されました。町内には複合商業施設もオープンし、診療所も開設されるなどインフラも整備されています。2018年4月には町内で小学校・中学校も再開しました。2022年4月には富岡第一小学校・第二小学校、富岡第一中学校・富岡第二中学校がそれぞれ正式に合併し「富岡小学校」「富岡中学校」として開校予定です。

町内のほとんどの地域で避難指示が解除され約4年が経過しましたが、今も町の人口は当時の10分の1程度で1,200~1,300人ほど。そのうち半数は復興関連の流入者だと言われているので、もともと富岡町に住んでいた人で戻ってきた人は500~600人ほどしかいないことになります。確かに道路を走る車も一般車両よりも工事関係の車両のほうが多い印象を受けました。富岡駅周辺も人通りは少なく、とても静かでした。一度人がいなくなりゼロからのまちづくり。事故以前の活気が戻ってくるのはいつになるのでしょうか…

富岡町内の様子
車ばかりで外を出歩いている人はほとんどいませんでした
富岡駅周辺の様子
車通りは少なく静か
聖火リレーのコースになっていました

夜の森の桜

3月23日に夜の森では桜が開花しました。福島訪問中に桜を見ることはできないと思っていましたが、例年よりも早い開花で2分咲きでしたが夜の森の桜を見ることができました。私たちが訪れた3月24日は上着がいらないほどの暖かさで、車から降りて写真を撮る人も多くいました。また満開の時期に訪れたいと思います。

夜の森の桜並木
訪問施設紹介

・ふたばいんふぉ
双葉8町村の現状を伝える施設。2011年の震災から現在までの各町村の歩みがパネルでまとめられています。津波で流され歪んでしまった船の窓枠などの展示もありました。また、お土産等も購入できます。カフェも併設されているので、ゆっくり休憩することもできます。

・富岡町文化交流センター 「学びの森」
MRシステム(Mixed Real System)を使って震災当時の様子を疑似体験することができます。いわゆるVRのようなもので、モニターを覗きながら動くことで実際にその場にいるかのような体験ができます。2021年の夏ごろには富岡町アーカイブ施設(仮)のオープンも予定されていて、町の成り立ちの紹介や津波に飲み込まれてしまったパトカーなどが展示される予定です。