被災地の今:双葉町

今も人が住めない町

 双葉町は事故後10年が経過した今もほとんどの地域が帰還困難区域に指定されています。北側のごく一部が避難指示解除準備区域に該当しているのみで、今も人が住むことはできません。原発事故後双葉町の人々は川俣町へ一時避難しましたが、最終的には「さいたまスーパーアリーナ」へ避難することを決めました。3月末には埼玉県加須市にある旧騎西高校へ移り、数か月から数年にわたって避難生活を続けることになりました。

双葉駅
東日本大震災・原子力災害伝承館

 そんな双葉町で立ち入ることができるのは双葉駅周辺と東日本大震災・原子力災害伝承館、産業交流センターがあるエリアなどごく一部です。今回はシャトルバスで駅から伝承館へ向かいました。バスから見た双葉町には草木に埋もれるようにして10年前のまま時を止めた住宅や車と除染が完了したのか更地になった場所が混在していました。駅の西側では「さあ双葉町の未来をはじめよう住宅用地造成中」と、新市街地の整備が進められていました。

伝承館周辺の様子
避難指示が解除されていないので、住宅に住むことはまだできません
伝承館周辺の様子
除染が完了した場所は平地になり、震災前の姿はもうわかりません

写真展訪問

旧双葉駅舎では震災後10年ということで写真展が開催されていました。震災前は開催されていたお祭りや町の様子が展示されていました。写真からは双葉町がどこにでもあるようなのどかな町だったことがうかがえました。そして震災から10年、復興に向かって歩み続ける双葉町の姿がありました。

写真展の様子
写真展の様子

写真展に訪れた人が残したメッセージからは震災を忘れてはいけないという思いや、復興を願う思いが記されていました。

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