チェルノブイリ医療支援ネットワークとの十年

はじめに

私がチェルノブイリ医療支援ネットワーク(CMN)の活動に携わらせていただいて、来年(2024年)秋で十年目を迎えます。2011年に語学留学に来てから在住するミンスク(現在は大学院課程を修了したジャーナリズム学部で準博士号論文執筆中)で、2013年に訪ベラのメンバーとして来ていた川原秀之事務局長と知り合う機会があり、翌2014年の現地医療支援活動に第二通訳(山田英雄医療顧問のアシスタント)として参加させてもらうことになりました。

2014年

 2014年の9月21日、ブレスト(市)ターミナル駅で訪ベラのメンバーを迎えて私のCMNにおける活動はスタートしました。列車から降りてくる参加者には、日本医科大学名誉教授の清水一雄医師と助手として同行していた産婦人科医の高橋恵理佳さん、村瀬幸宏臨床検査技師、河上雅夫(当時)理事長、そして山田英雄(医療専門)通訳がいました。まず<インツーリスト>ホテルにチェックインして、隣接する<ツム>デパートでの買い物(山田さんとお土産を吟味して選び)や三角屋根のレストランでの昼食(注文した牛肉ステーキの量があまりに大きかったので、二~三人で分けて苦笑いしながら口にしましたが、その美味しさに以後行きつけの飲食店となります)を一緒にしたり、市内にある茶道教室(地元の友人が主催したお茶会に招待してくれました)に行くなどして皆さんと打ち解けていきました。

外観の美しさで有名なブレスト・ターミナル駅(冬に撮影)

 翌日からはブレスト州立内分泌診療所を訪問して、CMNと長い付き合いのアルツール・グリゴローヴィッチ院長やヴラジーミル・シヴダ医師とともに本格的な医療支援活動の開始です。アルツール院長は患者さんへの診察や治療の施し、医学研究・学会発表に務め、地域・国内外の医療連携推進にも取り組むなど大忙しですが、私達が来る時は必ず優先してスケジュールを調整してくれます。通称ヴァロージャ先生ことヴラジーミル医師は、移動検診車でブレスト州の各地区をまわり、多くの住人の診察を行っています。この二人のコンビによる力もあり、ブレスト州では甲状腺疾患の早期発見率が上がり、適切な治療を受けるためのシステムが確立しています。彼らは「これも、CMNから提供してもらった医療機器、日本への医学研修や訪ベラ時の日本人医師との意見交換や診療・手術の実践指導のおかげです!」と感謝を忘れません。

(左)写真右からアルツールさん、村瀬先生、左端が清水先生
(右)写真左から河上さん、アルツールさん、ヴァロージャさん

 ブレスト内分泌診療所では主に村瀬先生が行うプレパラートの顕微鏡検査に付き添い通訳、それから河上さん、高橋さんと検診に訪れた患者さん達へのインタビューをしました。そして、訪ベラでのメインともいえる活動を目の当たりにします。清水先生が執刀する甲状腺内視鏡手術を(この訪問時に)受けるスベトラーナさん(30歳・女性)が診察に来ました。緊張した面持ちの彼女を清水先生の落ち着いた詳細説明、山田さんの的確な表現(通訳)で安心させます。後日、手術を終えたばかりのスベトラーナさんは、見舞いに来た私達を笑顔で迎えてくれました。清水先生は術後に、責任と誠意を持って患者さんの心身の経過状態を診ることも大切にされています。この手術の特徴は、切開の傷跡がほとんど残らず(若い女性にとってはとくに大事なことです)、声も術後すぐ出せて入院も数日で済むことです。この技術を現地の医師達へ直に指導していきます。実践的な【医療】支援というのを初めて知った思いでした。

(左)顕微鏡検査の説明
(中)診察に訪れた方(写真中央)へのインタビュー
(右)内視鏡手術を受けるスペトラーナさん

 ブレストから首都ミンスクに戻った皆さんが、大使館、赤十字、(清水先生の内視鏡手術における名誉医学博士号の授与式が行われた)医学再教育アカデミーの訪問を終えたあと再び合流して、残りの自由時間で町の観光をすることになりました。友達(当時歴史学科に通う大学生と大学院生の男の子ふたり)にも手伝ってもらい、サーカスを見に行ってから美しい風景の場所を散策しながらお土産屋や郷土料理の店に寄りました。現地に住む若者との交流でお互いの文化をより深く知る機会に喜んでもらえて嬉しかったです。こうして、初めての訪ベラ通訳業務が終了しましたが、医療現場で頼りっぱなしだった大先輩の山田さんから別れ際に「おう、ありがとうなぁ!しっかり、がんばっていけや!」と広島弁でねぎらいの声をかけてもらい、またこのメンバーと一緒にこの支援活動をともにしたい気持ちが一層強くなりました。

サーカス場の前で(写真中央に清水先生、その右横が村津先生、左横は高橋さん)

2016年

 2016年1月、訪ベラ中の山田さんから連絡が入り、その時ミンスクの教育大学で原発被災者心理学シンポジウムに参加した獨協医科大学准教授の木村真三先生と心理学専攻教員のリュドミーラ・ウクラインカさんと引き合わせてもらいました。

 リュドミーラさんは15歳の時に受けた甲状腺全摘手術後に頸部と心に傷を負った経験から心理カウンセリングを学ぶようになりました。優しい笑顔のなかに垣間見える少し悲しげな眼差し、何か深い人生経験を積んできた方だというのが第一印象でした。実際は動物・自然・スポーツが大好きな多趣味な女性で、ひとり娘のアンナちゃん(当時11歳)を可愛がる明るいお母さんでもあります。山田さんのことは実の父のように慕っていました。

 木村先生は国際疫学研究の第一人者であり、様々な分野の知識が実に豊富で子供から大人までいろいろな年齢層・国籍の人とどんな話題でも話せます。現場主義でそこに住む人々とのコミュニケーションを大事にしており、ある程度の現地語も勉強されて分かるので、先生の前では大ざっぱな通訳はできません。この時に口にされていた、今の医療支援活動に大きな役割を果たしている『人と人とのつながり』(CMNの皆さんが築き上げてきた現地での信頼関係)の大切さが心に残っています。

 2016年4月の訪ベラは、チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)後30年に合わせた時期となりました。メンバーは清水先生、木村先生、渡曾泰彦先生(日本医科大学付属病院臨床検査技師の先生ですが、本を持参して現地の言葉も学ぼうとしていました)、山田さんと河上さん、それに福岡放送FBSのスタッフさん二人(ディレクターとカメラマン)が番組制作のため同行しました。私はFBS取材班の通訳としての参加となりました。今回は皆さんがミンスクに到着してから、帰国の途に就くまでフルで行動をともにしました。 ブレスト出発前に、FBSクルーとミンスク中心部に建つカトリックの<聖シモン・聖エレーナ教会>を撮影しました。教会の敷地内には長崎の浦上天主堂から贈られた<長崎の鐘>があり、その下には原爆被害に遭った広島と長崎、原発事故の起きた福島の土が入ったカプセルが埋められており、そのような放射能汚染の悲劇が繰り返さないように恒久平和を願うシンボルとなっています。ここに<長崎の鐘>が設置された2000年には、浦上天主堂の<被爆マリア像>も巡礼するなど日本とゆかりある場所となっています。そこを訪れていた方々に、間もなく発生から30年が経過しようとしていたチェルノブイリ原発事故について話をききました。深刻な顔で当時のことを振り返りながら語っているうちに泣き崩れてしまう年配の女性の方もいました。思い出すのもつらい歴史的惨事だったことがうかがえて、二度とこのような悲劇が起きないよう切に祈る気持ちがひしひしと伝わってきました。

聖シモン・聖エレーナ教会とその敷地内にある長崎の鐘(写真右)

 ブレストでは先ず州立病院を訪れ、清水先生執刀の甲状腺内視鏡手術を受けるエレーナさん(31歳・女性)の診察がはじまります。今回はFBSの撮影班とともにオペに立ち会うことになりました。人生で初めての経験でした。首と胸の間ぐらいに小さく切開した箇所から小型カメラの付いた細いチューブのようなスコープを入れて、体内を映し出したスクリーン画面を見ながら慎重に腫瘍を切除していきます。途中、甲状腺のそばにある声帯神経などを切らないよう気をつけながら腫瘍摘出手術を行います。清水先生は助手として参加したイーゴリ・ラジエフスキー第一外科棟主任(清水先生の教えを受け現地では甲状腺内視鏡手術の第一人者となる)に技術的なことを丁寧に指導しながら摘出術を完遂していきます。約2時間続いた手術中、この師弟間の会話は万国共通の医療英語と、自身も医学専門知識に長ける山田さんの通訳で成立していきます。この活動における医療通訳の重要性を実感しました。

(左)手術前の診察を受けるエレーナさん
(中)内視鏡手術中
(右)オペでイーゴリ医師(写真左)に技術指導する清水先生

 ブレスト内分泌診療所に行くと、日本からの訪ベラ・メンバーとアルツール院長を大勢のマスコミ関係者が囲み取材をしました。この医療提携・協力活動に対する現地での関心の高さがうかがえます。インタビュアーの中には、自分が過去に受けた甲状腺手術跡を見せながら涙する女性ジャーナリストもいて、心を打たれました。また、これまでに清水先生が内視鏡手術をした二人の女性が挨拶と経過報告に訪ねてきました。ひとりは2007年に日本医科大学で手術を受けたアリョーシャさんです。術後に結婚・出産し幸せに暮らしている彼女の経験は、甲状腺疾患のある若い世代の人達の不安を取り除く希望となっています。今回も愛する家族(夫と幼い息子)と清水先生に会いに来ました。もうひとりの訪問者は、私が初めて参加させてもらった訪ベラ時(2014年9月)に手術を受けたスベトラーナさんでしたが、あまりの明るい変わりように誰もすぐには気づきませんでした。彼女のとても晴れやかになった表情、元気いっぱいの声、色鮮やかな着こなしは、傷跡が目立たなく健康生活に支障をきたさない内視鏡手術のメリットを物語っています。このおかげで容姿も心も明るく美しくビフォー/アフターできたという彼女は、清水先生にその嬉しい気持ちと感謝をとびっきりの笑顔で伝えていました。

(左)内分泌診療所で囲み取材を受けるアルツール院長と先生達
(中)清水先生を訪ねてきたアリョーシャさん(息子さんと)
(右)訪ベラ2014で清水先生の内視鏡手術を受けたスペトラーナさん。とても明るくなって駆けつけました。

 ブレスト訪問後、チェルノブイリ事故30周年国際会議が行われるゴメリ市の国立放射線医学環境センターへ向けて出発しました。その会議では、生涯許容被爆線量を決定した方をはじめ著名な学者達とともに清水先生が《現地における甲状腺内視鏡手術について》を、木村先生が《福島原発事故による放射能汚染測定の報告》をテーマに講演しました。私は聴衆席に座って、隣にいたFBSのスタッフさんに各発表の内容を伝えていましたが、内容がかなり専門的で正確に全て訳すことが間に合わなかった苦い経験でした(後で山田さんに確認して講演内容の詳細を教えてもらいました)。清水先生の英語での講演を伝えた現地スタッフの若い通訳さんと木村先生の報告を訳した山田さんの遂次通訳術を学びながら、使う言語だけでなく訳す話の内容に沿った分野の知識も(この場合は医学に関する)勉強する必要性を感じました。

(左)チェルノブイリ事故30周年国際会議が行われたゴメリ市の国立放射線医学教育センター
(中)清水先生の演説
(右)木村先生の報告(山田さんの通訳で)

 ミンスクに戻り、赤十字社に今回の活動報告に行きました。ここも自分にとっては初めての訪問場所で、双方の話し合い・意見交換を訳していきました。その過程で、この赤十字社とCMNとの信頼・協力関係が長く続いていることを知りました。90年代、ゼロからスタートして多くの現地関係機関とここまで提携を発展させてきたCMN創成期メンバーの山田さんと河上さんをはじめとしたこの団体の功績には大きなリスペクトの気持ちを持っています。次回このメンバーと会うまでにはもっと語学力をアップさせ専門知識を豊富にして、いろいろな場面で皆さんの力になれるよう頑張ろうと決めた二回目の訪ベラ同行でした。

赤十字社でのディスカッションの様子
(写真向こう側の列左から度會先生、清水先生、河上さん)

2017年

 2017年9月に38回目の訪ベラ(自身3度目の通訳同行)が行われました。前回も来た清水先生、木村先生、山田さん、河上さんに加えて今回は順天堂大学客員教授の千葉百子先生が参加しました。前夜遅くミンスクに到着した一行と翌日ブレストに列車で移動、いつものようにアルツールさんとヴァロージャさんが出迎えてくれました。その次の日から提携医療機関の訪問が続きます。内分泌診療所では、アルツール院長達と日本から来た先生方の間で、市内・国内の甲状腺疾患の検診や発症状況に関する情報・意見交換が行われました。貴重なデータを惜しげもなく提供してくれるのは、長年築き上げてきた固い信頼関係の証です。今回はプログラムの中に甲状腺内視鏡手術実施はありませんでしたが、医療問題をテーマに実りあるディスカッションとなりました。

 次にブレスト州立悪性腫瘍病院を視察訪問しました。リニューアルした病院内にある治療室、手術室、病室を案内してくれる時に通訳を任されましたが、そこで拝見する様々な検査器具類の詳細説明には専門医療用語を熟知する山田さんのサポート訳がやはり必要でした(CTやMRI検査機器など医学の世界では英語で共通して知られているものが多々あることも分かりました)。つづいて院内の講堂でシンポジウムが開催され、清水先生と木村先生の講演が行われました。聴講した若い医師達から山のような質問が先生達に浴びせられたので、演説を通訳した山田さんひとりではカバーしきれずに「ちょっと、手伝ってや!」と言われ、私と交代ごうたいで応対していきました。清水先生のこれまでの実績と活躍(甲状腺内視鏡手術導入・現地指導)と木村先生の研究対象(福島原発事故後の小児甲状腺検査)への関心の高さが分かります。しゃべり(訳し)続けた山田さんは途中、演説する清水先生と用意されたペットボトルの水を取り合うほどにのどがカラカラになっていました。特に大事な場面(学会発表や診察・治療・手術時)での通訳業の後、山田さんは決まって深い眠りにつきます。手術をやり終えた直後の清水先生も同様ですが、間違いの許されないシチュエーションで持てる力を出し切った反動だと思います。全集中して自分の責任を果たすその姿は、憧れであり目標です。 ミンスクに戻ると、例年通り大使館と赤十字社を表敬訪問して活動報告をした後、医学再教育アカデミーでのシンポジウムに出席しました。ここの内分泌科部長でラリッサ・ダニーロヴァ医学博士が出迎え・案内してくれました。以前、日本での医学研修時代に山田さんに大変お世話になったという彼女は、その時の恩をずっと忘れずいつでも私達の訪問を大歓迎してくれます。この時のシンポジウムでは、清水先生が《ベラルーシにおける甲状腺内視鏡手術導入》を含めた医療支援活動の紹介を、木村先生が《福島原発事故後の放射能汚染》に関する調査報告を、千葉先生が《アラル海における人類の健康に与える二十世紀最大の環境破壊》をテーマに講演しました。その内、清水先生と千葉先生の発表を通訳することになりました。こういった舞台(学会)で通訳者として演説者とともに壇上にあがり、大勢の人前で話すのはこの時が初めてでした。先生方と事前打ち合わせをしたおかげで、思ってたより緊張せずスムーズに出演することができてホッとしました。もちろん、真面目で内容のある講演ですが、専門的な話だけでなく時おり品のあるユーモアを交えながら場の雰囲気を和ませていく清水先生からは「ほどよい緊張感を持つことが成功につながるんだよ!」とアドバイスをもらっていました。とても大事なことを教わった通訳実践経験となりました。その機会を与えてくれたCMNメンバーの皆さん、大感謝です。

医学再教育アカデミーにて
(写真中央の女性がラリッサさん、その左横に清水先生、河上さん、千葉先生、木村先生、山田さん)

2018年

 2018年9月の訪ベラ・メンバーは木村先生、山田さん、河上さんと川原秀之事務局長です。今回の主な活動目的は、ブレスト内分泌診療所のヴァロージャ医師の移動検診チームに同行してストーリン地区を訪れ、地元の外来診療所で行われる甲状腺検診を取材することでした。この移動検診チームはブレスト州の各地区を一週間ごとにまわり(基本的には毎週月曜日のみブレスト中心にある内分泌診療所に結果報告に戻ります)、地元住民を診察してチェルブイリ事故後の放射能被害による甲状腺疾患の早期発見・治療に務めるものです。必要であればその場で穿刺吸引等の措置も施します。

 ブレスト市内の内分泌診療所から、ヴァロージャ先生と医療スタッフさん達と一緒に今回の移動検診先ブレスト州ストーリン地区のストゥロガ村の外来診療所に向け出発。道中、検診車で移動するヴァロージャさんと検査機器などが積んである車体の後方に乗ってみました。検診チームのスタッフさんがいつも座る席ですが、車の移動中かなりの揺れでじっと座っていられず少し危険に感じました。新たな移動検診車購入の必要性について身をもって分からせてもらいました(翌年、CMNにご寄付をいただいてる皆様のおかげで、新しい検診車となる<雪だるま号>3台目が贈られました)。

 ストーリンでは2~3日の滞在となりました。我々は近くのホテルにチェックインしましたが、ヴァロージャさん達は検診をする外来診療所に泊まりこみです。その間、朝から晩までできるだけ多くの住民をひたすら丁寧に診ていくヴァロージャ医師達。私達は、その様子を取材させてもらいながら検診を受けに来た村の人達にインタビューします。異常が見つからず家に帰っていく人達の安堵した表情が印象的でした。滞在中、ストーリン地区中央病院で木村先生による《医療保険システム》報告、山田医療顧問の《広島・長崎の被爆》講演も開催されました。今後この地区での医療提携発展の可能性にもつながる講義となりました。 首都ミンスクでは関係機関訪問(大使館、赤十字社を訪れ、内分泌専門の国立10番病院ではラリッサさんと面会)、現地調査(町のインフラ視察、図書館での資料集め等)も行いました。その合間に町を案内してくれたのが、当時まだ13歳だった現地の友人チホン君です。とても人懐っこい彼のお母さんはチェルノブイリ近郊生まれで、事故のことをよく聞かされてきたそうです。そのこともあってか、訪ベラ・メンバーの滞在中には必要な買い物や道探し、インタビュー取材のお願い等、様々な面で私達を積極的にサポートしてくれました。子供の視点で見る環境問題や学校教育制度、他にも様々な話題での率直な意見をきけたのは有意義でした。このように、地元住人との距離がどんどん縮まり、お互いにオープンになっていく付き合いも大事だと思いました。

町を案内する等よく手伝ってくれたチホン君(写真右)とお母さん(左隣)とそのすぐ左が妹のアンゲリーナちゃん

2019年

 2019年9月に参加させてもらった訪ベラ(日本から来たメンバーは木村先生、川原さん、理事の和田幸策さん、監事の三島さとこさん)では、二週間ちょっとの間にミンスク-ブレスト-ピンスク-ゴメリと多くの都市をまわりました。 ミンスクでは、腰が軽く行動力のある川原さん達CMNのメンバーは空いた時間を十分に使っての現地調査を実施しました。私の通う国立大学ジャーナリズム学部の図書館でスタッフの方々に手伝ってもらいながら国内のエネルギー情報等を調べたり、前回の訪ベラ時も協力してくれたチホン君と妹のアンゲリーナちゃん(当時12歳)も合流して町の散策に出かけたりしました。この子達と知り合った日本ニコライ堂(日本に正教を伝道した聖ニコライに由来)にも顔を出すと、彼らと同世代の多くの子供とその親御さんと触れ合う機会に恵まれました。今回のように、資料集めを手伝ってくれた司書の方々や教会の子達、CMN訪問団の皆さんとすぐに仲良くなっていく現地の人々との交流の輪が様々な分野で広がっていくのは嬉しい限りです。また、ミンスク郊外に住む心理カウンセラーのリュドミーラさんと14歳になった娘アンナちゃんのお宅に伺いました。郊外にある立派な庭付きの一軒屋に大家族で住んでいます。2021年に来日講演予定だった彼女たちは日本の人達のために何かできることがあれば嬉しいと、訪日を心待ちにしている様子でした。

(左)資料集めを手伝ってくれた司書の方々と(写真左から川原さん、三島さん、右端は和田さん)
(右)リュドミーラさんのお宅を訪問

 ブレストでは最初に内分泌診療所でアルツール院長達と、対外務省資金援助により新たに購入する移動検診車のことで念入りな打ち合わせを行いました。車種選びになると、院長室に次から次へと関係者が集まってきて、近寄りがたいぐらい真剣な表情で話し合いをはじめます。私も契約書の作成(翻訳作業)には特に時間をかけました。ちょっとした間違い(数字の書き方の違い等)でも受理されない場合があるので、少しでも気になるところは双方に何度も確認しました。そして、無事お互いの署名捺印がなされ、正式に契約成立となりました。CMNに寄付をしていただいている方々のご支援が実りました。「本当にありがとうございます!」と心から喜ばれていました。

内分泌診療所で新しい雪だるま号購入における車種選びの時の真剣な議論の様子

 ブレスト滞在中には、アルツールさんとヴァロージャさんがスタディツアー視察も兼ねて、郊外にある<ビャウォヴィエイジャの森>に連れて行ってくれました。世界遺産にも登録されているこの自然公園内には、国のシンボルにもなっているズーブリ(バッファローの一種)をはじめ多種多様の動植物に会えて、博物館、サウナ、サイクリングコースなどのレジャーも充実しています。そして、ブレスト市街中心部では、私達がこの町を訪れる度に見たくなる伝統行事が毎日行われています。日暮れの時刻になると、どこからともなくランプライターがやって来て外灯に明かりをつけていく光景です。

(左)ブレスト郊外の自然公園ビャウォヴィエイジャの森入り口
(中)国のシンボル的な動物ズーブリ
(右)ブレストの中心通りで毎晩ランプライターが外灯に明かりをつけていく伝統

 今回のブレスト内分泌診療所の移動検診同行ではピンスクという町を訪れました。検診チームはロギーシン市立病院・ピンスク中央診療所分室《市立第一診療所》で3日の間に200人近くの地元の診療希望者を診ました。その間、移動権検診活動に協力していただいているピンスク中央診療所のはからいで、過去に甲状腺手術を受けたことのある患者さんへのインタビューもできました。私達が初めて訪れるこの町の観光案内もしてくれるなど暖かいおもてなしをいただきました。ピンスクには清水先生の手術を受けたアリョーシャさんも住んでおり、彼女のお宅へも挨拶に行かせてもらいました。清水先生へのビデオメッセージもいただき、とても会いたがってる様子でした。

(左)移動検診先のピンスクでの穿刺吸引細胞診
(右)ピンスク市にお住いのアリョーシャさん宅を訪問

 ミンスクに戻り10番病院でラリッサさん達と専門的な情報・意見交換をした後、ゴメリ市へと向かいました。ゴメリで活動する«のぞみ21»工房の取材と商品購入のためです。これは原発事故の被害者や障害者が働く福祉工房で、ちょうどこの時CMNとの友好20周年を迎えていました。それを記念して代表のナターシャさん、会計のタチアナさん、スタッフの皆さんが集まって昼食会を催してくれました。スタッフのご家族や小さなお子さん達も来ていて、訪問団に日本の文化や教育のことをたくさん質問するなどして交流を深めるすばらしい機会となりました。今までお世話になってきた方々との親交をさらに深め、また多くの新しい出会いと発見のあった実り多き旅となりました。

ゴメリ市で活動するのぞみ21工房の皆さんと

2020年~2023年

 2020年~2023年はパンデミックの影響もあり、訪ベラが行われていません。その間も文化紹介を中心としたテーマで情報発信を続けさせてもらっています。2015年9月のチェルノブイリ通信に書かせてもらったのを最初に、現在は《ミンスクの一日》連載コラムを投稿しています。今は現地の子供達に日本文化(語学や伝統的な遊び)を伝える活動にも携われることになり、幸せのエネルギーを日々もらっています。そんな元気が出る記事をこれからもたくさん書いていきたいです。

いつも現地の魅力を伝える取材やインタビューに快く協力してくれている日本文化を学ぶ仲良し3人娘(写真は年越しに手作り寿司を味わいながら日本行きの夢に思いを馳せる様子)

 チェルノブイリ医療支援ネットワーク(CMN)との十年はとても貴重な体験とあたたかい思い出が詰まった時間で、いろいろな魅力的な人との出会い、別れ、再会が心に残っています。次回の訪ベラが実現するまでには、またさらにその交流の輪が広がっていることでしょう。この医療支援活動のますますの発展を期待しています。

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