2023年9月

 こんにちは、暖かな秋の晴天が続くミンスクからです。今回は訪ベラのメンバーも顔馴染みのチホン君 (通信No.113の派遣報告②とコラム11月だより参照)とのエピソード・インタビューをお届けします。

 2018年の春、まだ13歳のあどけない男の子だったチホン君と知り合いました。ミンスクにある日本ニコライ堂(19世紀に日本で正教を伝道した聖ニコライに由来した教会)の復活祭で、大勢の参拝者を正しく誘導するボランティアに参加した時にペアを組んだ相手でした。その際、活動を一緒にしながらお互いの故郷の自然・教育・文化・観光・娯楽について語り合ってるうちに仲良くなりました。子ども目線で見る様々な話題が新鮮で興味深いことも魅力でしたが、人当たりがいい彼の純粋な性格と実直さ、ポジティブな物事の捉え方と面白みのある豊かな表現力には自然と笑顔を引き出されます。

チホン君と知り合った日本ニコライ堂には多くのフレンドリーな子どもと親御さんが通います(2018年秋)

 家族構成は、父セルゲイさんと母ナターリアさんに妹二人(アンゲリーナちゃんとヴェロニカちゃん)です。お母さんのナターリアさんはチェルノブイリ原発事故があった場所に近い地域の出身で、下の妹ヴェロニカちゃんは先天性の脊柱側弯症のような障害を持ち、定かではありませんが放射能の影響かもしれません。これについては、2019年度訪ベラでCMN(チェルノブイリ医療支援ネットワーク)メンバーとチホン君一家が知り合った際に詳しく話してくれました。その時もナターリアさんは末娘のヴェロニカちゃんの健康状態・健全な成長過程への影響を心配していましたが、幸い最近受けた手術の成功により治療経過は良好です(以下インタビュー参照)。

(左)チホン君の妹のアンゲリーナちゃんと(写真中央と左)
(右)ご家族と:写真左から妹・長女アンゲリーナちゃん、母ナターリアさん、父セルゲイさんと末娘ヴェロニカちゃん、チホン君(2019年冬)

 このようにチホン君とは家族ぐるみで親交があり、仕事の手伝い(日本からの訪問客の町案内や現地観光スポット紹介のためのレポート等)からプライベートまで幅広い付き合いとなります。彼からすれば、思春期に異国の友人ができたことで、その交流で初めて知る私たちの文化に興味津々でした。共通の趣味がスポーツということもあって、例えば日本で人気の野球という(現地ではまだメジャーでない)競技を気に入ると、すぐにミンスクにあるベースボールクラブを見つけて一緒に練習に参加しようと言い出します。また、自分の近所の子ども達を空き地に集めて少年・少女野球チームをつくるなど夢中になっていました。これだと思った楽しいことに向かって一直線に走る姿勢は、その時その瞬間を十二分に堪能する現地の子どもならではのライフスタイルと言えます。『善は急げ』、『一期一会を大切に』といったところでしょうか。『いっぺん切る前に七回計れ』という(これも現地の)諺にならい、何事にも慎重で少しためらいがあった私にとって彼の行動力と積極性は良い教えにもなりました。初めて真剣に向き合った子供の友達でした。

(左)近所の子ども達に野球を教えるチホン君(写真右・2019年夏)
(右)チホン君とつくったジュニア野球チームの子達と(写真右端は妹のアンゲリーナちゃん・2019年秋)

 そんなチホン君との出会いから今年(2023年)春でちょうど5年。18歳になって顔つき・体格も精神的にも立派に成長したチホン君ですが、あの時の純粋さを失うことなく今も変わらず幼馴染みか親戚のように接してくれ、時には家族そろって、時には妹のアンゲリーナちゃんと一緒に会いに来てくれます。自分や家族の今を語ってもらうとともに、訪ベラで交流のあったCMNメンバーや大好きな日本の人達へのメッセージをもらいました。(以下インタビュー内容)

現在の成長したチホン君(18歳)と妹アンゲリーナちゃん(16歳)と(2023年)

-田中)「チホン、近況はどう?」
-チホン)「技術系の専門カレッジ(3年間)の卒業に向けて順調だよ。結構きついけど、整備工場でも働いている。卒業後はミンスクで仕事を続けると思うが、日本を含めて海外での事業展開も視野に入れたい。例えば、食品貿易のビジネス等を国内外で。」

-田中)「家族のみんなは元気?」
-チホン)「父さん(セルゲイさん)は、50歳になったばかりの今も仕事を頑張り続けていて、40歳を迎えた母さん(ナタリアさん)は職を変えて、<インスタグラム>のデザイン作成の仕事をして稼いでいる。長女(妹)のアンゲリーナは9年生(中学3年生)を間もなく終えようとしているところで、でK-POPファンのための情報をアップしながらフォロワー数を5万人にのばしていて、その分野でのエキスパートになりたいみたい。一番下の妹ヴェロニカは背骨に障害があったけど、キリスト教系基金のサポートによりイタリアで治療・手術を受けて、その後の経過は良好だよ。彼女の障害は、チェルノブイリ事故後の放射能が影響してたかは断定できないけど、母の故郷が事故のあった原子力発電所の近くということも関係してるのかもしれない。」

チホン君のご家族に招待された時(2019年)

-田中)「日本へ行きたい気持ちは今もある?」
-チホン)「もちろん!日本は近代的で自然が美しく、気候が温暖だし。そこの冬がこちらの春よりあたたかい時もある。日本での仕事やアルバイトもしてみたい。何かの番組で見たけど、仕事熱心な人が多い日本で、残業を超過して働きすぎの会社員を腕ずくでも家に帰させる警備員の職に就いてみたい。僕たちの国では、一日の労働時間の8時間終了後すぐに、またはそれを待たずに帰路に着く人がほとんどだけど、日本人は12-14時間平気で働きすぎるから、彼らの健康を力ずくでも守るそんな仕事に憧れるなぁ。僕自身2メートル近くあるから(身長197センチ)、職場にしがみつく人を持ち上げて、タクシーに乗せて家に送らせて休んでもらうようにすることはできると思う。」

-田中)「ルックスもいいし、モデルとして就職すれば?」
-チホン)「うん、それもわるくないね。その話で僕に興味を持ってくれる日本の方々、お電話・メールをお待ちしております!」

家族でのお出かけの前にきちんとした服装をするチホン君と妹アンゲリーナちゃん(2019年)

-田中)「チェルノブイリ事故の歴史・現在までの影響について思うことは?」
-チホン)「母から聞いたその歴史を、学校でも5~6年生の時に学んだ。毎年、事故の起こった4月26日は消防士の人や事故処理をした英雄がやって来て話をしますが、その勇気に感動してた。この45分間の特別授業のなかでは、まずチェルノブイリで起きた事故のことが思い出され、それから他の国での放射能被害についても語られる。かつて日本人が、自分達の土地での(放射能汚染)検査を恐れずに受け入れたことで、それがチェルノブイリ事故後にも応用されたことも知った。」

-田中)「2011年の、福島原発事故については?」
-チホン)「このことについてはテレビで知って、それからチェルノブイリ事故を思い返す特別授業中に、福島で起きたことも語られるようになったので。復興に向けてがんばっている日本の皆さんには、多くの人があなた達を支えていることを忘れずに、気を落とさず、あきらめず、安全を最優先にしてほしいです。しっかりとした心を持っていれば病気にもなりにくいはずです!」


 幼い頃からチェルノブイリ近郊生まれのお母さんに原発事故のことや放射能の恐ろしさについてきかされていたこともあってか、このテーマについては同世代の子達よりも詳しく熱く語ってくれたと思います。
時にはユーモアをまじえながらも、堂々と話すチホン君の成長を直に感じたインタビューでした。

(左)今回のインタビューでチホン君と(2023年)
(右)見上げるほど立派に成長したチホン君と(2023年)

 現地のことをよりよく知る上で、様々な分野に携わる幅広い年齢層とのコミュニケーションは大事です。そのなかで、成長過程真っ只中の子供~若者の視点にスポットを当ててみました。チェルノブイリ原発事故発生、その後の放射能汚染・被害から長い年月が経ち、その影響も徐々に収まってきた時期に生まれた世代。彼らに繰り返されてはならない原発事故の歴史はどう伝えられているのかを知り、また今の生活やこれから取り組んでいくこと・目標を語ってもらい、意見交換や協力をしていくことで安心安全で明るい未来づくりに繋がっていけば何よりです。

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