チェルノブイリの子どもたちが原発事故後の世界を描いた作文集、「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」が出版されてから2年。この作文集の出版に際して、編集作業に関わった若者から「現地に行ってみたい」という声が高まり、「96夏、チェルノブイリスタディーツアー」が実現した。その9日間の旅の出来事をまとめた報告集「ベラルーシの旅」(チェルノブイリ支援運動・九州編)が発行される。 |
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16歳代から62歳までの20名からなるツアーの一行は、8月19日にモスクワからベラルーシ共和国へバスで移動する。ベラルーシの大地に馴染んでいくにつれ、チェルノブイリ、そして旧ソ連に対するモノクロなイメージが覆されていく。「大きいのは空だけでなく、地上も木も月も道路も全て大きくて、人間がとても小さく見えます。その人間の小ささがすごく自然なことに見え、自然のなかで人間が住まわせてもらっているような感じを受けました」(山根真紀16) |
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8月20日、チェルノブイリ原発4号炉へ向かう。「それは平原の中に広々と横たわっていた。すぐ周りにはなにもない。5km手前からその姿が見え出した。そこからは巨大な送電線が出ていた」(佐藤進一19)続いて、強制移住後の廃墟となったプリピャチへ。「音もない、樹々を通り抜ける風もない、鼓動も聞こえない。ゴーストタウンだ。無残な真空地帯、一瞬脳裏をかすめた風景−核戦争後のある町の荒涼 たる風景」(小峯光男53) |
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放射能に怯え、一方で豊かな自然に目を奪われながら、一行は、放射能管理地域にあるグリシコビッチ村に辿り着く。そして、ここでの2泊3日のホームステイを通し、ベラルーシの土に根ざした生活文化に出合う。「ホストファミリーの人は本当に親切だった。食事の時に何度「クーシャンシ」(たべろ)という言葉を聞いただろうか。畑を案内してくれ、収穫物を食べさせてくれもした。またそこでベラルーシの自然を見た。ここの森は自然だ。村人達はそこでキノコを採り、白樺ジュースを作る。人と自然がまさに共存している」(坂井英生16) |
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森へのピクニックやダンスパーティーなど、放射能のことも忘れてしまうぐらい楽しい時間を過ごし、最初は戸惑いながら食べたキノコも平気で食べるようになっていく。が、ここでも放射能を垣間みることになる。本来、原発や放射能とは無縁であるはずの生活空間であるだけに、戸惑いも大きい。「森でバーベキューをした帰りにも、大友さんに『息子をなんとかしてください…』と目を真っ赤にして頼んでいるボリースの姿を見ました。『えっ?セルゲイはそんなに重くないといっていた!』」(門間直輝19) |
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この報告集では、それぞれの参加者が、ベラルーシの人々と語り、森の樹木、菜園の土に触れながら手探りで「等身大のチェルノブイリ像」を描いている。自然の描写と緑の色彩が多く、それだけに放射能の影が際だつ。チェルノブイリ原発事故から11年の月日が過ぎ、放射能の影響が深刻化している今日、若者の自由奔放な報告レポートのなかに将来の希望を見いだしたい。 文責■矢野宏和 |