1986年、ウクライナ北部のチェルノブイリ原子力発電所で史上最悪と言われる爆発事故が発生した。事故直後、現地でどんな被害が起きているかについてほとんど情報がなかったが、90年代半ばに入ると、小児甲状腺がんの急増が報告され始め、次第に現地の様子が明らかになってきた。
子ども用手術器具、エコー、顕微鏡など精密医療機器や医薬品の不足、医療技術の遅れ、首都ミンスクの中央基幹病院と地方病院との医療技術の格差、旧ソ連時代からの医療機関の縦割り制度、連携の悪さ、誤診…。日本の10年、20年前の医学知識や術法で診断、手術された患者の中には、声帯を傷つけてしまい声が出なくなった話や、誤診が元でがんでない正常な甲状腺を摘出してしまった例、発見が遅れてがん細胞の転移が進み命を落とす例なども報告されていた。長引く経済混乱も加わり、甲状腺がんをめぐる状況は最悪と言えるものだった。
1990年代半ば、チェルノブイリ支援運動・九州(現在の「チェルノブイリ医療支援ネットワーク」、以下「CMN」と表記)に転機が訪れる。広島で放射能と甲状腺とを長く見続けてきた第一線の専門家たちから、チェルノブイリ被災者への医療支援を模索しているという連絡が入る。先に入っていたウクライナ側汚染地での取り組みを元に、甲状腺がんの早期診断・治療のための検診システムを作れないかと模索しているという相談だった。
現地事情に通じ、何よりも熱意と意欲に燃える専門家グループとの出会いが発端となり、CMNは1997年から医療支援に本格的に取り組み始める。現地の専門家育成を視野に入れて、日本と現地の医師たちによる共同チームを組み、甲状腺がん検診を中心とした医療支援活動が開始した。
それから10数年。多くの方の善意に支えられ、CMNは現在まで検診団派遣事業を続けている。なぜ「甲状腺がん」なのか?ベラルーシの甲状腺がんに関わる状況はどのように変化しているか?検診を続ける中で明らかになったデータをもとに、チェルノブイリの今を伝えます。
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* チェルノブイリ原発事故についてはこちらをご覧ください。
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