医療支援20年とこれから

チェルノブイリ医療支援ネットワークの前身団体である「チェルノブイリ支援・運動・九州」が1990年に発足後、97年から被災者の甲状腺がんをテーマに医療支援に取り組み始め、20年が経過しました。これまでの歩みについてご紹介します。

はじめに

1986年、ウクライナ北部のチェルノブイリ原子力発電所で史上最悪と言われる爆発事故が発生しました。事故直後、現地でどんな被害が起きているかについてほとんど情報がありませんでしたが、90年代半ばに入ると、小児甲状腺がんの急増が報告され始め、次第に現地の様子が明らかになってきました。

1997年7月以降のベラルーシ訪問団について
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2002年7月以降の支援物資、支援金について
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これまでの検診結果
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チェルノブイリ支援・運動・九州(現・チェルノブイリ医療支援ネットワーク)は、1990年市民有志によって発足し、ウクライナやベラルーシへの物資支援(医療機器や放射能側的など)、転地保養施設「サナトリウム九州」の運営などを展開しました。

チェルノブイリ原発事故について
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小児甲状腺がんの増加と医療環境の遅れ

ベラルーシはチェルノブイリ原発事故による放射能で国土の3分の1が汚染されたと言われています。事故から5年後の1991年には子どもたちの間で甲状腺がんが見つかり始め、1996年にはWHOやIAEAなどがチェルノブイリ原発事故と小児甲状腺がん増加との因果関係を認めるようになりました。ベラルーシにおける15歳以下の小児甲状腺がん症例数は、事故前(1975~1985年)の7例から、事故後(1986~1996年)508例と急増しました。

当時のベラルーシでは甲状腺がんの診断体制が十分に整っておらず、医療機器も不足していました。そのため、発見の遅れによる他の臓器へのがん転移や誤診も多くありました。さらに首都ミンスクにある中央の医療機関と地方との技術格差も深刻で、ゴメリ州やブレスト州などで暮らす人々は、精密検査や手術のため数百キロ離れた首都ミンスクまで通う必要があったため、経済的・身体的な負担にもなっていました。

小児甲状腺がんの医療支援を活動の柱に

1990年代半ば、チェルノブイリ支援運動・九州(現・チェルノブイリ医療支援ネットワーク)は、被災地に何度も足を運んでいる広島の専門家、武市宣雄医師(武市クリニック院長)、山田英雄さん(ロシア語医療通訳)らから、甲状腺がんをテーマにした被災者医療支援プロジェクトの提案を受けます。その内容は、「移動検診車で被災者のいる地方を回り、甲状腺検診を行うことで、早期にがんを発見し治療につなげる。そのプロジェクトに被災地と中央の医師が参加し、現地の医療機関との連携と人材育成を図る」というものでした。

「甲状腺がんのほとんどは進行が遅いため、早く発見し早く治療をすれば命を落とさずに済む。現地の医療技術が定着し、環境を整備できれば、多発する甲状腺がんの早期発見と誤診防止につながる」

第一線で活躍する専門家の助言と協力のもと、1997年から移動検診車導入による小児甲状腺がんの早期診断・治療システムの構築を目指した医療支援がスタートしました。

ブレスト州での甲状腺がん検診

ベラルーシにおける小児甲状腺がんの症例数は、南部のゴメリ州と東部のブレス州で特に多く見られました。事故直後から各国の支援が入っていたゴメリ州に対し、ブレスト州では支援が遅れていました。そのため、まずはブレスト州を医療支援の対象地域とし、中でも特に甲状腺がん発生率の高かった南東部のストーリン地区に拠点を置き、夏と冬の年2回の検診を行いました。

1997年~2001年までの5年間、ストーリン地区で甲状腺がん検診を実施した後、2002年からは、州都ブレスト市にあるブレスト州立内分泌診療所に拠点を移し、~2012年まで日本・ベラルーシ合同での甲状腺がん検診を計12回実施しました。

現地と二人三脚での被災者支援

ブレスト州での甲状腺がん検診は、日本の第一線で活躍する専門家とミンスクの基幹病院、汚染地の病院との連携によって進められました。ブレスト州では、「ブレスト州国際赤十字移動検診チーム」が日常的に移動検診を行っています。このチームの中心は、日本・ベラルーシ合同での甲状腺がん検診の開始当初から参加していたブレスト州立内分泌診療所のアルツール医師、ウラジーミル医師らです。彼らは州立病院と連携して州内を巡回し、年間1万5000人もの患者を診察しています。

この移動検診チームが一次スクリーニングを行い、そこで見つかったがん疑いのリスクが高い患者に対して、日本からの検診団の訪問に合わせた二次スクリーニングを実施しました。この連携が、甲状腺がん(またはがん疑い)の高い発見率につながっているのです。

現地医師らの技術の向上

ブレスト州での甲状腺がん検診は、問診→触診(患者の喉元に指をあてて甲状腺とその周囲の状態を調べる)→エコー検査を行います。ここでがんの疑いのある部分があれば、穿刺吸引(注射器のような器具で細胞を取り出す)をして、顕微鏡でがん細胞の有無を確認するという作業を行います。当時のベラルーシでは、この「吸引穿刺」があまり一般的ではありませんでしたが、日本の医療専門家らの合同検診を通じて技術が培われていきました。

その上達ぶりは、検診結果における検体不適正(細胞を採ろうとして注射針を甲状腺に刺したけれども、うまく細胞を採ることができなかった)の数にも表れています。検診開始当初は十数例あったものが、徐々に「ほとんどゼロ」という状態になっていきました。その技術は、検診に参加する日本の医師からも「日本のレベルを越えている」と絶賛されるほどです。 また当初は日本の専門家が中心となっていたものが、回を追うごとに現地医師らの担う役割が大きくなりました。ベラルーシ国内でもブレスト州の技術の高さが知られるようになり、他の州の医師らが研修に訪れるまでになりました。さらに若い医師にも技術を伝え、第二世代、第三世代へと人材育成が進んでいます。

細胞診断における課題と、その解決に向けた取り組み

一方、吸引穿刺で取り出した甲状腺の細胞を染色し、顕微鏡で確認して正確に診断するという病理面に関しては、まだ改善の余地が見られました。

日本では「パパニコロウ染色」という方法が主流ですが、ベラルーシでは「ギムザ染色」により日常の診断がなされています。このギムザ染色による細胞診断の技術を高めていくため、日本で出版されたギムザ染色による細胞診断の症例集をロシア語訳するというプロジェクトがスタートしました。日本医科大学附属病院の渡曾泰彦臨床検査技師や村瀬幸宏臨床検査技師、ロシア語医療通訳の山田英雄さんなど、専門家の方々の助言と協力を得て約1年半をかけて翻訳・編集作業を行い、2012年にブレスト州立内分泌診療所へ症例集を寄贈することができました。現在はこの症例集を活用して、細胞を見る目を養いながら現地の医療関係者が診断を行っています。2013年、2014年のベラルーシ訪問時には、この症例集を用いて村瀬臨床検査技師による現地の医療関係者を対象とした講義が行われ、内容の理解を深めることにつながりました。

また2016年には株式会社ニコンインステック様のご協力により、ブレスト州立内分泌診療所へ顕微鏡デジタルカメラシステムを寄贈することができました。この機材を導入したことで、顕微鏡の画像を撮影できるようになり、また外部の液晶ディスプレイに接続することによって複数名で一緒に細胞を見ることも可能になりました。

甲状腺内視鏡手術の普及と技術向上支援へ

ブレスト州での甲状腺がん検診とともに、甲状腺内視鏡手術の技術向上と人材育成も進められています。チェルノブイリ支援運動・九州(現・チェルノブイリ医療支援ネットワーク)の甲状腺がん検診に1999年からボランティアで参加して下さっている清水一雄医師(当時・日本医科大学教授)は、甲状腺内視鏡手術を300例以上施行している専門医でもあります。内視鏡手術は傷が小さく出血も少ないため、患者の負担が少なく回復が早いというメリットがあります。清水医師の開発したVANS(Video-assisted neck surgery)法と呼ばれる内視鏡手術法をベラルーシへ導入し普及させるため、現地訪問の際に開催した医学シンポジウムにて、清水医師による甲状腺内視鏡手術に関する講義が行われました。

そして2009年、ブレスト州立病院にて清水医師の執刀により、ベラルーシで初となる甲状腺内視鏡手術が行われました。手術は無事に成功し、翌年以降もミンスク、ブレストにて数例の手術が続けられています。現地での手術や毎回開催するシンポジウムでの講義を通して、若い医師らの育成も行われています。

特にブレスト州立病院のイーゴル医師らは、日本の器具を参考にした独自の手術器具を製作し、すでに年間100例もの内視鏡手術を行っているそうです。点から線へと、甲状腺内視鏡手術は徐々にではあるが、確実にベラルーシへ広がっています。

医療支援のこれから

支援者の皆さまからお寄せいただいたご寄付は、甲状腺がん検診や手術の場を通した現地医師らの育成だけでなく、エコーや顕微鏡、検査試薬や消耗器具等の購入費、移動検診車の維持費などの形で、チェルノブイリ被災者が安心して生活することができる環境整備につながっています。

1997年の医療支援開始から20年以上が経過し、「甲状腺がんの早期診断・治療システムの構築」は、多くの方々のご協力や現地関係者との連携によって少しずつ達成されています。ただ前述の細胞診断に関しては、まだ技術向上の途上にあります。また10年以上前に支援物資として寄贈し、現地医療機関でフル稼働してきたエコーや顕微鏡などの機器類や移動検診車(2019年現在、3代目が活躍中)は、老朽化が進み、買い替えが必要な時期に来ています。

1986年のチェルノブイリ原発事故から30年以上が経過し、子どもの頃に被曝したリスク・グループと呼ばれる世代は、がん発症率が高まり始める40歳前後になり、専門家の間でも被曝の影響が懸念されています。被災地の最前線で活躍するブレスト州立内分泌診療所のアルツール医師は、「これから100年間、チェルノブイリと甲状腺をめぐる問題は続くでしょう」と言います。私たちは、これからも専門家と連携し、被災者への医療支援を続けていく所存です。

どうぞ引き続き、チェルノブイリ被災者への医療支援活動をお支えくださいますよう心よりお願い申し上げます。