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チェルノブイリ通信 No.53 (4)
2002年6月20日発行
移動検診総括会議報告
一枚の写真から〜エレナのおばあちゃん
活動を支える陰の立て役者たち
・走れ雪だるま号〜JCF神谷さだ子さんの報告
ベラルーシからの手紙 第3話
津島朋憲つれづれ日記
・ 出版物案内
・ 2001年活動報告&2002年活動予定
・ 募金ありがとうございます

走れ!雪だるま号 「ベラルーシはふるさと」
日本チェルノブイリ連帯基金 神谷さだ子

チェルノブイリ支援運動・九州による検診だけでなく、日本のチェルノブイリ支援団体が現地で活動する際にも貴重な移動手段として利用されている「雪だるま号」。その雪だるま号の働きを通して、様々な団体の活動をお伝えするのがこのシリーズ。今回はJCF/日本チェルノブイリ連帯基金の神谷さだ子さんからの報告をご紹介する。

 2月27日から3月9日、JCF/日本チェルノブイリ連帯基金の第61次訪問団がベラルーシを訪問した。訪問の目的は、第一に首都ミンスクにある小児血液ガンセンターに衛星通信システムを設置して、日本―ミンスクーゴメリを衛星通信で結び、ベラルーシの子どもたちの血液がんの診断と治療のカンファレンスを3方向で行おうというものだった。
 毎週水曜日、ゴメリと日本の信州大学を結んで行っているテレビ会議で、ゴメリ州立病院の小児血液病棟に入院している日本では稀なホジキン病の子どもの治療アドバイスをした。また、リンゴ病と呼ばれる感染症も州立病院の医師たちは診断ができずに、顕微鏡の血液画像を伝送してもらい、信大小児科の小池健一先生が、日本からテキストを示しながら症状と治療薬のアドバイスをしたことがあった。
 骨髄性白血病の子どもたちは皆ミンスクで治療をしているので、ミンスクの診断・治療の向上を図り、ベラルーシ国内間で医師達が症例検討できれば、現地医師の自助努力で子どもたちを診ていくことができる。信州大学医療情報部の平成13年度事業として、ミンスクへの設置が決まったのである。
 昨年末に、他の医療機器と船便コンテナで輸送していたアンテナなど、通信機器もスムーズに通関が終わり、私たちの到着を待っていてくれた。そして、船便には間に合わなかったパソコン2台を手持ちで持ち込んだ。通関が心配だったが、ベラルーシ赤十字の手配でミンスク空港は、フリーパスのように通過できた。しかし、実際は案の定パソコンがストップ。2時間で書類を作り出してくれるというが、短い日程で仕事をこなさなくてはならず、空港から直接小児血液がんセンターに寄り、セットアップに取り掛かった。ハード機材のアンテナやモニターは準備万端でスムーズに設置完了した。
 翌朝、大切なパソコンが届いているだろうかと恐る恐る質問すると、昨日夕方雪だるま号が空港からセンターまで運んでくれましたよ、と事務室から持ってきてくれた。一同ほっとして、顕微鏡やサーバーに繋ぎ、通信ラインを確保していった。
 ほぼ、ミンスクの設置が完了するのを見届けて、6日、小児科の小池健一先生と新生児専門の松澤重行先生とで400キロ離れたゴメリに向かった。3月初旬、ベラルーシは2月から暖かい日が続いているという。雪だるま号から見る平原に雪はなく、春の芽吹きを待つ一時だった。
 ジーマさんの運転はいつも確実だなと安心して乗っていられるが、この日はすごかった。ゴメリまでノンストップで3時間半。JCF61回の訪問で初めてのことだった。お疲れ様。そして、この8月に結婚するジーマさんを祝してその夜はウォッカで乾杯…。あんなに仕事に厳しいジーマさんが、翌朝寝坊したのは、私たちが将来の家庭設計にまで踏み込み、盛り上げてしまったからかもしれない。
 とはいえ、時間通りにゴメリ州立病院での大切な仕事が始った。
 小児血液病棟のタチヤーナ先生を御見舞いし、移植部や病棟の子どもたちの様子を診ながら、ミーシャ先生、イーゴリ先生とカンファレンスを行った。小池先生の訪問を待って、次から次へと質問をしてくるのは、いつものことだった。日本のドクターへの信頼が強く感じられる。最近では単なる支援ではなくなっている。人間的な深い信頼感で結ばれていると感じる。ジーマさんと乾杯した時、小池先生が「ベラルーシは僕の第2のふるさとのような気がする」と言われた。離れていれば、何とも懐かしく思い出す。心の一部となってしまったベラルーシ。11年間のつながりは、関ったそれぞれにとって、言いようになく深く、そして広い。
 映画「アレクセイと泉」の撮影で、主人公アレクセイにインタビューした時、アレクセイがふとこんな事を言った。「86年のチェルノブイリ原発事故の被害を受け、180キロ離れたブジシチェ村の住民も町に移住していった。そのパニックの中で移住することも考えた。しかし泉の水が僕の体の中に流れて、僕を支えている。水は移住していった人たちも呼び戻そうとしている」。高汚染の森に囲まれているにもかかわらず、村の中心にある泉から湧き出ている水からは放射能が検出されない。不思議な水だ。そんな、アレクセイがなぜ汚染された村を離れないか自問自答する言葉が続いた。そんな文脈の中で小池先生の"第二のふるさと"に突然思い出した言葉があった。「人間は生れた所で、役に立つことが大切だ、というロシアのことわざがある」。生れた所というのは、必ずしも厳密な出生地でなくてもいいんじゃないかな。心を寄せる地、信頼しあえる人と繋がる地。それぞれの人に、たくさんの"ふるさと −生れた所"があるのではないだろうか。チェルノブイリの繋がりから生れた暖かな思いだった。
 松澤先生は、始めてのベラルーシだった。昨年来、メディカル・エンジニアや小児科の先生が視察してきた、ゴメリ州立病院附属産科を専門医の目から見ていただくことが目的だった。
 本館から500m位離れた場所にある産科の建物。暗い階段と不安定なエレベーターで、4階の新生児室に行った。新しい5台の保育器がある。それだけがやけに目立つのだ。95年頃、スイスから支援されたものだ。それ以外は何もない。スイスも保育器を贈っただけで、以後何の繋がりもないという。スベトラーナ先生とオリガ先生が案内してくれた。しかし、驚いたのは、一通り見て医局に帰ってから、逆に日本の医療について次から次へと質問されたことだった。松澤先生と小池先生が丁寧に答えていった。彼らは情報をほしがっているのだ。
 帰国してから、早速関係者でミーティングをした。日本だったら必ず助かる1000〜1500gの未熟児生存率がゴメリでは、60%だ。まず、ここから着手しよう。そのために、必要な機材は、薬品は…できるところから着手しようと赤ちゃんサポートが歩き始めた。今年度から、JCFの新しい事業になっていきそうだ。事故当時の少女達が今、出産適齢期になっている。若い女性が安心して子どもを産めるように、産まれた赤ちゃんがたくさん生きて行けるように「小さないのちを守りたい!」。

 3月7日、日本とミンスク、ゴメリを結んだ衛星回線のテストが行なわれた。
 映像は鮮明に3方向を繋いだ。ミンスクのオリガセンター長の高揚した声が流れた。ゴメリの皮膚に炎症をおこした子どもを日本から診断した。通信設置の民間企業の方々の緻密な仕事ぶりで、コミュニケーションの範囲が広がった。今後の診断治療に大いに役立つことだろう。短い期間に密度の濃い仕事を達成することができた。私たちの足になって、順調にスケジュールをこなしてくれた雪だるま号に感謝します。

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