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チェルノブイリ通信 No.53 (5)
2002年6月20日発行
移動検診総括会議報告
一枚の写真から〜エレナのおばあちゃん
活動を支える陰の立て役者たち
走れ雪だるま号〜JCF神谷さだ子さんの報告
・ベラルーシからの手紙 第3話
津島朋憲つれづれ日記
・ 出版物案内
・ 2001年活動報告&2002年活動予定
・ 募金ありがとうございます

チェルノブイリ後を生きる子どもたち
〜 ベラルーシからの手紙 第3話

力丸邦子

子どもたちに励まされて
 日本の習慣、行事などに関心を持っているのはどの子も同じです。が、ナターシャは、「日本の学校は、いつ始まって、休みはどうなっていますか?」と聞いてきました。正直、これは困った、どう書こうと思いました。できるだけ詳しく私なりに書いて、最後に「私の手紙わかりますか?」として返事を出しました。それに対してナターシャは、「あなたの手紙わかりますよ。苦心して書いていることも充分わかりますよ」と返してくれました。このナターシャの言葉に、どれほど勇気づけられたことでしょう。そして、子どもたちが、どれだけ大きな気持ちで自分を受け入れてくれているのかを知りました。ナターシャは、将来、できるなら経理の仕事に就きたい。それは、コンピューターを使うからと話していました。昨年受けた試験は、「数学はよかったのだけれど、ベラルーシ語が問題だったようで、合格しなかった。でも、悲観はしていません。まだ希望はあります」という前向きな手紙に胸が熱くなりました。今年ナターシャは、「美容の専門学校に合格した!」と "ОЧЕНЬ РАДА" を連発しての手紙が届きました。さらに、「ねえ、モギリョフに来ませんか。ママもきっと喜ぶわ」と、ありました。東海村の原発事故の時に、「大丈夫ですか?」と一番先に心配してくれたのもナターシャです。

 前回、通信No52のエッセイで「手紙が途絶えている」とご紹介したサーシャからその後、力丸さんへ手紙が届いたとのことです。

3月6日 力丸さんから事務局あてのお便りより
 きょう、1年7ヶ月ぶりにあのサーシャから手紙が届きました。
 写真が一枚同封されていました。父と母と一緒のその写真は、こちらが送ったセーターを着て、静かに笑っている、おとなびたサーシャです。
 「ごめんなさい、長い間手紙を出さないで・・・」と始まる手紙は長い手紙で、読み終えるには時間がかかりそうです。が、どうもサーシャは元気ではなさそうです。所々、今読んだのですが、辛くなりそうです。このままよみ続けたら、私は泣き出してしまいそうなので、今夜はもう読まないことにしました。
 3月10日はサーシャの誕生日です。つい先日おめでとうのメッセージを送ったばかりです。手紙と行き違いになってしまいました。
 きょう届いた手紙は住所が変わっていました。おやおや・・・です。「あたらしい住所です。手紙を待っています。」とサーシャは書いてあります。返事のない相手に手紙を書き、言葉をかけ続けていてよかった、と本当によかったと思った日です。
 また、”サーシャから手紙が来ました!!”と、このうれしい気持ちを聞いてもらえる人がいることもとてもうれしい私です。

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