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「映画「ナージャの村」に寄せて
あの、小さなあかりのなかへ
映画「ナージャの村」が発するメッセージ
文/矢野宏和 |
「絵を描きたいな・・・」学校の授業以外絵筆を握ったことなどほどんどないくせに、柄にもなく、私はそう思った。
あのとき、陽はもう落ちようとしていた。
ベラルーシの大地を、静かに闇が覆い始める。と、点在する家屋に、あかりが浮かぶ。
ぽつり、ぽつり、と。橙色のような温かみを帯びたその色彩。それは、まるで暖炉の炎のように揺らいでいた。
「あのぐらいの明るさで、いいんだよな」と、どこからともなく声がする。
闇の向こうのどこかの平原に今も佇み放射能を吐き続ける巨大な石棺と、車窓を流れゆく小さな灯火と。あの灯火のなかの生活空間は、原発などなくても成り立つ土に根ざしたものなのに、なぜ、この大地が原発の放射能で汚染されてしまったのか。
初めてベラルーシを訪れた5年前、私はこの大地に降り注いだ放射能に怯えながら、しかしこの大地の営みに憧れ、絵心がないにも関わらず、ただ無性に絵が描きたくなった。
陽が大地を照らすにつれ、風景はさらに広がる。
森のなかで、陽光のなかで、老人は丸太小屋を作っていた。
釣り糸が伸びるその先の浮きを見つめる少年を、とりまく川辺の静寂。
樹の家を取り囲む菜園の、その入り口のベンチに腰掛けて談笑する主婦たち。
そして、平原に漂う家のあかり。
あの、あかりのなかへ、一度だけ私は入ったことがある。だから私は知っている。あかりのなかの豊かで暖かな生活を。すべてが絵物語のようで、叶うことなら、その様を絵にして表現したかった。
だが、私が見たのは、夏の一日の時季に過ぎない。
昨年、「ナージャの村」を観たとき、次々と現れてくる光景に心ときめかせながら、一方で私が全く触れることのできなかった生活の厳しさや失われし故郷の悲哀に触れて、その映画の奥深さを感じた。
そして、また思った。「絵を描いてみたい」
しかし、表現する技術も、あのあかりのなかの生活を丹念に取材していく力もない。私にできたのは、その絵画の世界の真似ごとをすることだった。帰国後、私は畑を借り、ログハウスのキットを購入し自分で建て、川を愛でた。蛍光灯は使わず、小さなクリップライトの明かりで過ごし、現在は蝋燭の使用も検討中だ。
最大の原発事故の、その最大の被害を受けたベラルーシという国の生活を模倣し、原発を必要としない生活スタイルを目指す、というのも何だかあべこべのような気がするが、あの大地からは、感性を触発するようなるメッセージが確かに発せられているのだ。
メッセージの受け止めようは、それぞれの人次第。生活スタイルの変化という結果を生むこともあれば、新たなる創造的行為を引き起こす源になることもある。本橋成一監督の映画作りが、あの大地からのメッセージを受け止め、そこから始まったように。
「ナージャの村」を観た人は、きっとベラルーシの大地を散策するような体験をすることになると思う。その結果として、あの大地から発せられるメッセージを受け止めることになるはずだ。
きっと、そこから新たな変化が生まれる。原発事故の現状や支援の内容を説明し、支援カンパを募ったり、反原発を訴えていくような直接的な言葉ではなく、人それぞれの感性に訴え、多様な変化を引き起こす、それが「ナージャの村」が発するメッセージの性質だと思う。
3月17日に「ナージャの村」の上映会があり幸いに私も参加することになっている。
私はまた思うのだろうか?「絵を描きたい」と。そうであれば、今度こそ、絵筆を握るぐらいのことは、実行したいと思う。これほど、感性を刺激する映画も、そうそう観られるものではないのだから。
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