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チェルノブイリ通信 No.54 (1)
2002年9月18日発行
・第1回ブレスト市移動検診報告
リクビダートルについて考える
ベラルーシからの手紙(最終回)
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ベラルーシ・ブレストでの初めての検診
〜第1回、ブレスト市移動検診報告〜

 ベラルーシ共和国・ストーリン地区においてスタートとした甲状腺ガンの早期発見・治療を目的とした移動検診。後の5年間で、合計9回の検診が行われ、この度、新たな検診の拠点をブレスト州ブレスト市においての第1回目の検診が行われた。

7月28日、日本からの検診団6名とミンスクの医師3名、赤十字総裁アントン・ロマノフスキー氏、心理学専門のリュドミラ・ウクラインカを載せた2台の車がミンスクを出発した。
行き先はブレスト州ブレスト市。ロシア革命後一九一八年の「ブレストリトフスク条約」というと聞き覚えがある人も多いだろう。
ポーランド国境に接するこの都市は、第二次世界大戦当時ドイツとソ連の軍隊がぶつかり合った、大きな傷を負った場所でもある。
車が市街部へ入っていくと、当時対ドイツ戦で勇敢に闘い抜いたとされる「英雄都市」に指定された都市名を刻んだモニュメントが、中央分離帯に等間隔で整然と並ぶ。その傍らには大きな樹木の並木が堂々としており、第二の都市とはいってもミンスクとはまた違ったどっしりとした表情を持つ街だ。「ベラルーシの中では緑が一番多い都市なんだよ」とブレスト保健局長のセルゲイ氏は誇らしげに語ってくれた。
戦跡として今も広々とした緑の敷地に残されているブレスト要塞では、当時、押し寄せるドイツの大軍にソ連軍兵士500人が要塞に立てこもって対抗した。ドイツ軍側は「さっさとやっつけて今日はゆっくり夕食がとれるな」くらいのつもりで攻めたのが、1ヶ月の血みどろの戦いになったという。レンガの壁に残る弾丸の跡や資料館に残る傷ついた物品の数々が戦闘の過酷さを伝え、兵士の名を刻んだ石碑や巨大な兵士を象ったモニュメントが人々の姿を忘れまいと語りかける。
そして、その一度血に染まった大地には20数年後、チェルノブイリ原発事故により目に見えない放射能が降り注ぐこととなったのである。
今年、いつもより数段に暑い夏をむかえたブレストの明るい日差しの中に、その折り重なるような悲しい歴史見て取ることはもちろんできない。そこにいる笑顔の人達の記憶の中で、その歴史はどんな姿をしているのだろうか、としばし考えた。

医療検診活動の舞台となるブレスト内分泌診療所での検診が始まった。11月に訪れた時よりも建物がこぎれいに感じられる。改装したようだ。わたしは検診に参加するのが初めてだが、過去に参加した人達から以前の検診の拠点であったストーリン地区での不便だった話をいろいろと聞いていた。それに比べると、ずいぶん設備も整っており、医療活動もスムーズに行えそうだ。とは言え、前回「一般のガラスを自分たちで切って使っている」と話していた形の不揃いなプレパラートは相変わらずそのままに使われていた。
実は、今回、税関手続きのトラブルで検診までに器具を届けることができず、きちんと形の揃った日本製のプレパラートが彼等の手元に届くのは1ヶ月後になってしまった。
この診療所に拠点を移すにあたっての重要な点のひとつは、必要な器具等を充実させ、ここで働く医療専門家達が十分な技術を身につけることができるようなベースをつくることにある。少しずつ日本からの技術を学んだ専門家達がその力を発揮するようになれば、そしてそれが後輩のお医者さん達に伝わっていき、各地で活かしていけるようになれば、いつか日本から検診団が行く必要はなくなるだろう。「もう来なくても自分たちでやっていきます」と言ってもらえる日が早く来ればいい、と願っている。

検診室の扉の外には、自分の順番を待ちきれずに立って待っている人も多い。部屋から出る度にたくさんの視線が集まる。ペンや飴玉、折り鶴などの入った簡単なお土産の袋をひとりずつ手渡すと、「いらない」と言う人も中にはいたが、ほとんどの人達が一瞬驚いたような表情のあと「ありがとう」と言って顔を緩めた。中には逆にチョコレートをプレゼントしてくれた人もいた。
患者さん達に直接話を聞いてみたいと思いながらも後込みしていたわたしは、中でも人なつっこい笑顔を返してくれた女の子におそるおそるながらも話しかけた。21歳で学生のユーリアは、3ヶ月の妊婦さんでもあった。「事故の影響は心配。みな少なからず何らかの影響を受けていると感じているから。子どもの生育は今のところ順調よ。」と流暢な英語でにこにこと話してくれるので、ずいぶんと緊張もほぐれた。「あなたたち日本からのチームが来るっていう噂は、あちこちでみんながしているのよ。」と言う。ちょっとオーバーに言ってくれているんだろうな、と思ったが、次に話しかけた女性は登録にもれたのに、わざわざ出かけて来たと言う。わたしたちの滞在中3日間で検診をできる人数は約80人から90人程度と限度がある。事前に、現地医師によって大勢を対象に行われる検診の中で、特に問題がないとされた患者さんは、登録できない。「それでも、ひょっとしたら診てもらえるかもと思って来たの。ぜひ診てもらいたかった。」
たくさんの人達が一縷の望みを持ってやって来る、検診団の噂を皆がしている、という事実や、何気なく口にされる言葉が、現地に住む人達の心の中にある不安を物語っている。
人間その他の動植物の命を汚染し奪ってきた、というのがチェルノブイリ原発事故の最大の悲劇であるが、それと同時に、大多数の人達が健康であってもいまだにその確証を持てず、「もしかしたら自分もガンかもしれない」といういらない心配を抱えて毎日をすごさなければならないという状況もまた、事故の残した深刻な影響と言えるだろう。
検診に参加した日本からのお医者さん達によると、「触診やエコー検査の時点で『細胞を採って調べるまでもない、問題ない』と言っても、患者さん達の多くは細胞を採ってほしがる。日本の患者さんなら、そう言えばたいてい納得するのに。」という。細胞を採るのにはもちろん痛みをともなうが、それでも詳しく調べてほしいと言う。それだけ、不安の根は深いということだろう。また、期間中にわたしたちはテレビ局2つとラジオ局の取材を受けた。日本からの支援に対する人々の関心は高い。
今回、3日間で85名の患者さんの検診を行い(そのうち数名は飛び入りの希望者だった)、15名に甲状腺ガンの疑いがあることがわかった。進行の比較的遅い甲状腺ガンは、早期発見がカギとなる。疑いの見つかった15名にとっては治癒・回復へのきっかけを手にしたことになり、問題のないことがわかった残りの人達にとっては、少し安らいだ気持ちでの毎日がはじまった・・・そうあってほしい。

患者さんの聞き取り調査

クリセビッチ・ユリア 21歳  女性 学生(環境学専攻)
現在、妊娠3ヶ月。チロキシンを摂取している。身の回りの人は、皆少なからず事故の影響をひきずっており、健康状態を心配している。母から、この検診のことを聞いた。皆日本からのチームが来ることを知っており、その話しをよくしている。

50代・女性
職場でこの検診のことを聞いて、登録しようとしたが、いっぱいでできなかったのだが、ひょっとしたらと思って来てみた。日本のチームに診てもらえないので、現地の医師に診てもらう。日本の機材はいいので、診てもらいたかった。

リュボフ・チェルニヤフスカヤ 40代
医師から聞いて来た。事故当時はブレストにいて、事故のことは次の日には知っていた。1 年前に鉄道病院で手術を受けて、半分切り取った。今はチロキシンを飲んでいる。どうも調子が悪い。
1986年9月に生まれた息子は甲状腺に結節がある。小さいので心配はないと言われ、観察状態。発育は順調。ほかの家族は大丈夫。今は特に食べ物などには特に気を付けていない。

マリア・ヤンチュク 12歳
甲状腺の肥大があるので、定期的に検診している。日本からのチームが来ると聞き、はっきりさせるために来た。ほかの家族は問題ない。原因は環境問題にあると思う。放射能の影響ももちろんあると思う。
柔道を4年間やっていて、ブレスト州で女の子で3位。医者の許可がないと柔道をできないので、今日診てもらって判断してもらう。9月には全国大会がある。

ナタリャ・コレジ 17歳 女性
はじめて吸引穿刺をした。イワセビッチ地区病院の集団検診で肥大がわかったので、来た。事故の影響があると思う。

その叔母 エレナ・ジチェネワ
12年前に手術で一つとって、今新たに発見されている(甲状腺ガンの疑い)。事故が原因でこういうことになった。
当時はテレビやラジオを見ていても何の情報も得られなかった。
障害者なので今は働いていない(脚が不自由)。甲状腺の障害では、国からの保障はない。

ベロニカ・ヤロフスカヤ 16歳 女性
生まれて14日目で事故があった。学校の集団検診で自分だけひっかかって、病院で調べたら甲状腺の病気の第3段階だということがわかった。自覚症状はない。ここから250キロ離れたのイワセビッチ地区から母親、ボーイフレンドと一緒に来た。ほかの家族は元気。

オブラベツ・ターニャ  21歳 女性 看護婦
医者からここに来るようすすめられた。良性の結節で、特に問題はない。血圧の上昇がある。5歳の時、事故が起こった時はルマニエツ(250キロのところ)に住んでいた。住民は約5000人で、10人が甲状腺ガン手術をうけ、そのうち子ども5人。姉妹にも甲状腺の肥大がある。

患者さんは、40〜50代の女性が多いように見受けられる。男性は50代、60代くらいの人が数名いただけで、若い男性はいない。アルツ ール医師に、どうして女性が多いのかをたずねたところ、ホルモンのバランスの関係によるとのこと。

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