福祉工房のぞみ21を訪ねて
対話を通して見えてくる、ベラルーシの友人たちの今
文/山口 英文(チェルノブイリ支援運動・九州 運営委員、ロシア語通訳)
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ナターシャさんとステパンさん |
のぞみ21の現状は、非常に厳しい。今回も、商品の買付を待ってやっと皆に給料が払えたという事情。工房は前の半分になった。経営者のステパンさんがほとんど手作りで、壁を作り、電線を通し、そして塗装するという状態だった。ステパンさんが大工ということもあってそういうことも可能になった。
職場は現在は裁縫場だけ。かつてあった木工旋盤場は今は閉まっている。ひとつはオーダーが入ってこないこと、もうひとつは木工旋盤で巻き上げる木屑が、工房の皆の健康に悪いからだそうだ。
工房の皆は、我々が来たことで嬉しいのか、最初はちょっと控えめだったが、お茶の時間になるとだんだん打ち解けてきた。全員のVTRレターを作りたいというと、皆がはにかんだ。
私の話すロシア語が面白いらしい。「リトアニアやポーランドの人もロシア語を話すし、上手だけど特徴のあるアクセントがあるの。でもあなたはそんなアクセントが無い。面白いわ。柔らかい話し方で聞きやすいわ。」とスタッフのエレーナが話してくれた。
「皆元気だし、とても綺麗な人ばかり。身体障害者に見えないけど。」と言うと、「ありがとう。でもそんなに元気じゃない。元気だから仕事に来ているの。具合が悪いと帰るし、家でじっとしている。もちろん朝から悪かったら出勤してこないわ。」とエレーナさんが答えた。
「そうなの。皆今日はなぜか元気。普通はもっと辛そう。友だちが来たから張り切っているのよ。」とステパンさんのパートナーであるナターシャさんが付け加えた。
工房の片隅で作業に取り組む若い男がいる。マトリョーシカなどの絵付けを担当しているセルゲイだ。
「セルゲイは体だけでなく、心も病んでいる。君はスポーツマンだから、健全な体と心のことはわかるだろう。彼は創造的な仕事はできない。でも、デザインを与えたら正確に描いてくれる。一つ一つ心を込めて。きっと彼が言いたいこともその絵に描き入れているんだよ。」とステパンさんが言った。
モスクワやミンスクのデパートで売られている市販品の華麗な模様のマトリョーシカの作品は出来ないのだろうか?ステパンさんが答えた。「セルゲイは作れと言えば作るよ。でも彼の精神状態には悪い影響を与えると思う。その為には少しずつ描かせないといけない。当然、たくさんは作れない。」
ラッカーやニスをスプレー塗装するともっと綺麗に出来ると思わないかと言うとステパンは優しい口調だがきっぱりとこう言った。
「セルゲイの健康を害するよ。今ある塗料は全部、自然環境に良いものだけを使っている。当然セルゲイの体にも悪くない。製品を良くして作る人の健康に配慮しない事はのぞみ21の主旨と違うから。」
ナターシャさんは「どうしても製品が華麗に作れないのは分っているの。でも、作る人は皆障がい者。彼らは一つ一つを手作りで作るしか方法が無いの。プログラミングミシン等で刺繍を作れるけど、刺繍コンピュータ付きのミシンはとっても高い。500ドル以上はするし。それだけでどのくらい売れるかも分らないの。何よりも皆の給料を払うのが先だし。」と言った。
「注文があれば、どんどん作るわよ。でも私たちの一番の悩みは注文が来ないこと。半日仕事をしないでお茶を飲んで帰ることもあるの。」とエレーナが言う。
「また来てね。貴方達が着てくれたら本当に元気が出てくるから。」と言って彼らが帰り始めた。一見、顔色もいいし、ベラルーシの若い女性にもれず美人だが、歩きはじめると足取りがかすかにおぼつかなかったり、すこしひきずったりしている。
この国の障がい者保護はどうなっているのだろうか。繁栄しはじめたと実感出来るベラルーシの社会の中でどのように生きているのだろうか。街でも日本ほどバリアフリー(わが国も進んでいるとは思えないが)や車椅子で外出している人を見かけない。
ステパンさんに聞くと「障がい者への年金どころか、健常者でも給与は上がっていないよ。物価はあがったし、モノは増えたけど。なんでも高い。だから改築も自分でした。何でも自分でやるのがベラルーシ式だ!」と笑いながら答える。明るい彼だからこんな事も言えるのだろうか。
夜はステパンさん達と話した。ステパンさん曰く、「若い人やビジネスマンは次々と外国に出て行こうとしている。ベラルーシは生活はけっして楽でない。儲けている人はいるけど誰もが儲けていない。」
街を行く華やかなファッションの人々や日本にも見られないような綺麗なレストラン、ホテルはステパン達には無縁のようだ。「君がベラルーシが好きでこちらに住みたいなら一緒に造園をしたらいいと思うんだ。日本の庭園はきれいだったね。お金持ちに日本庭園を造って売り込むんだ。」
少しは造園の事はわかるのだけどと言うと、「是非、おいでよ。きっとうまくいく。」とウォッカのせいかご機嫌なステパンさん。ナターシャさんが「なんでも、調子よく言うんじゃないの。彼だって家族がいるんだし。」とたしなめたりするのは日本の家庭の団欒と一緒だ。ナターシャさんは頭の腫瘍の手術を受け、その後、長時間乗り物に乗ることが辛いままだ。何か後遺症かも知れない。ステパンさんも元気だがベラルーシの人々の平均寿命は男性で58歳だ。何度も彼らと「お互いにもう家族だね。」とか言いながら美味しい手作りの食事を腹いっぱいご馳走になった。
ステパンさんはその中で初めて自分の家族の歴史を語りだした。「お爺さんはゴメリで警察署長か士官だった。立派な制服の写真が残っている。でもベラルーシがソ連に組み込まれた時に、シベリアに連れて行かれた。そこで病死したと聞いた。ペレストロイカで情報公開があったのでシベリアのどこで死んだか確認しに行った。そしたら全くの嘘だった。彼はゴメリを出て直ぐにゴメリの郊外で銃殺されていた。埋葬地は未だ以って分らない。たとえ出てきても埋葬地自体の情報も怪しいよ。この国は日本のように優しい国じゃない。重い歴史だよ。」と静かに語った。
「いや、そんな事はない。日本だって豊かになり出したのは1960年頃から。それまでは、戦後直後の復興にはソ連だって随分協力している。ポリオワクチンはソ連の援助で出来て、ポリオ撲滅には大きな貢献があったんだ。」と山田さんも語った。
「チェルノブイリだって同じ事。その時のお礼だよ。お礼だけじゃない。こんなにいい人達がいる国だ。この国の人と同じ言葉で話してますます好きになった。重い歴史や社会体制とかよりステパンさんやナターシャさんが好きだから。」と語ると、ステパンさんがじっと目を見詰めて「ありがとう。ありがとう。」と何度も繰り返した。
「助けられる人は豊かになる。助ける人は心が豊かになる。お互いに友情はもっと深くなる。友情や愛情には人間は生物学的にも限界がないらしい。」と言って皆でしっかりとうなずき合った。
ステパンさんとナターシャさんはみぞれの降る中、アパートの前で見送ってくれた。また彼らと会える日が必ず来ると信じて別れた。
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