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チェルノブイリ通信 No.70 (1)
2007年7月30日発行
・チェルノブイリ医療支援報告
手紙がつなく子どものこころ
事務局での研修で学んだこと
チェルノブイリ・チャリティライブ
理事研修合宿報告  

チェルノブイリ医療支援報告
山田英雄さん(医療通訳/コーディネーター)に聞く
10年の変化 医療支援のこれまでと、これから

 2007年10月に予定されているベラルーシでの甲状腺ガンの検診。1997年に行われた第1回から数えると、今回で通算16回目となる。
 この間の10年の継続。そのなかで、学んだこと、分かってきたこと。そして変わってきたこと。それをふり返りつつ、今回、10月に行われる検診の意味を探る。

聞き手・報告/矢野 宏和(チェルノブイリ医療支援ネットワーク理事長)

■医療支援は、劇的なものではなく、日常的なものとして

 1997年、第1回目のベラルーシでの甲状腺ガン検診のときのことを、山田さんは目を細めつつ、こう振り返る。

 「日本の医師の検診が受けられるということで、もう病院の廊下に患者が溢れちょったんじゃから。その頃は、旧ソ連が崩壊した後の経済的混乱で、以前は定期的に実施されていた地方病院への検診はまともに行われなくなっていたんよ。また、検診を行うための設備や技術も不十分だったから、日本の、特に原爆被爆者の検診、治療の経験を積んでいるヒロシマの医師への期待が高かったんよ。」

 ベラルーシでの医療支援開始当初、日本の専門医による甲状腺ガン検診は、医療現場が整っていないベラルーシの片田舎において、「劇的」なものだった。あちこちから医師も見学に来るし、テレビ局のカメラもこぞって検診の様子を撮影した。

 その画面の中心には、日本の医師がおり、実際に検診は、医療器具の設営からすべて日本の医療関係者が行っていた。

 山田さんは言う。「病院の方からも、とにかく日本の検診システムを学びたいという強い要望があった。」

 日本の医療関係者による、特別な検診。それが、10年前のチェルノブイリ医療支援ネットワーク(当時の団体名はチェルノブイリ支援運動・九州)による検診の実状だった。

 「いずれは、現地の人たち自身の手で検診を行えるようにすることが大事。」と、山田さんは当時から幾度も繰り返していたが、正直なところそれは一つの理想ぐらいにしか私は思っていなかったし、日本の医師が活躍する姿に感動と満足感を、私は確かに抱いていた。

 支援を必要とされている場所で、特別な技能を持った医師を派遣し、人の命を救う。それこそが医療支援。それこそが国際協力。人の良心が創り出す感動的な取り組みなのだと。

 しかし、そうした劇的な取り組みの、さらにその向こうを見据えなければ、活動の継続は生まれない。10年を経た今、私はそう思う。

 「現地の医師の手で検診を!」と繰り返す山田さんは、検診プロジェクトを立ち上げる前から、そのことを分かっていた。

 だから検診のあり方について次のように語る。「甲状腺の検診は、劇的なものでなく、地道なもの。あって当たり前のものになっていけばいい。」

■そして、10年が過ぎ

 10年の継続の中、変化は起きた。

 当初、日本の医師によって行われた「特別な」検診は、現地の医師によって行われ、現地の医師によって広められつつある。

 山田さんは、昨晩ベラルーシから送られてきたという1枚の書類を私に渡す。

 「これは現地の病院から、チェルノブイリ医療支援ネットワークに要望があった医療器具のリスト。今、現地で必要とされる医療器具が書かれている。」

 そのリストには、次のものが記されていた。エコー吸引穿刺アクセサリー、吸引穿刺用注射針、吸引穿刺後に貼る絆創膏。

 いずれも、現地の医師が検診を日々、行っていくために必要なものばかり。「触診→エコー診断→吸引穿刺→細胞診」という、日本の医師により伝えられた検診スタイルが、日常的に現地で行われていることを示している。

 現地から日本側に要望してきた医療器具の中で、唯一高価なものだったのが顕微鏡の対物レンズ。これも山田さんによると、「吸引穿刺後の病理で、細胞を見る医師が増えているから、必要なんじゃろ。」

■様々な変化のなかで

 私たちチェルノブイリ医療支援ネットワークがベラルーシでの医療検診に取り組みはじめて10年。そしてチェルノブイリ原発事故が起きてから20年以上の歳月が流れる。その間、いろいろなことが変化してきた。

 以前はまともに電話が通じなかった地域でも、携帯電話で日本に連絡できるようになり、いわゆる「馬ションビール」しか飲めなかった酒屋でも、美味しい生ビールが飲めるようになり。総じて、ベラルーシの都市部における生活水準は向上してきた。

 一方で、人々のチェルノブイリへの関心は薄れていくという変化もある。それは、ベラルーシでも日本でも同様のようだ。

 その結果、日本では募金の額も減っていき、当初は年2回実施していた甲状腺ガン検診は年1回になった。

 しかし、それを補うかのようにブレスト州立内分泌診療所のアルツール医師を中心に検診技術は受け継がれ、かつ向上していくという変化も生まれている。今では、アルツール医師は、ブレスト州立内分泌診療所の所長に就任し、甲状腺ガンの早期発見に尽力している。

 甲状腺ガンの多発する年齢は、小児から20歳代の若者たちへと移行し、その対応も必要になっていく。

 こうした諸々の変化のなかで、私たちチェルノブイリ医療支援ネットワークの医療支援はどのように変化させていくべきか?

 山田さんは言う。「現地の医師のレベルをさらに上げていくことが、大きな意味を持ってくる。日本の医療技術、知識を学ぶシンポジウムは、今年10月に行われる検診でも開催されるけど、日本の専門医から直接話を聞く機会は、ベラルーシ国内では珍しいこと。現地の医師には大きな刺激になりますね。」

 さらに検診の内容についても「特に若い女性においては甲状腺、乳腺、子宮といった器官は、ホルモンが深く関係しているので、それらを含めた総合的な検診を現地のアルツール医師たちは取り組もうとしている。その取り組みをどうサポートしていくか。この度、10月に行われる検診のなかで、一緒に考えていきたい。」と、今秋実施されるベラルーシでの16回目となる検診の課題を山田さんは語ってくれた。

 チェルノブイリ医療支援ネットワークによる国際医療支援が、最終的にベラルーシに残すものは何なのか?これからも、現地の患者、そして意思にスポットを当てて、その変化を追っていきたい。

 
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