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チェルノブイリ通信 No.52 (1)
2002年3月17日発行
・チェルノブイリに関わる人々
カーチャ医師を偲んで
のぞみ21の民芸品にまつわる情報
飯倉小学校訪問
「映画を撮りたい」 本橋成一監督
映画「ナージャの村」に寄せて
走れ!雪だるま号
ベラルーシからの手紙
・ 募金をいただいた方々

チェルノブイリに関わる人々
〜移動検診をつなぐ人のつながり

医療通訳・コーディネーター 山田英雄さん

 5年間で計9回に及ぶベラルーシでの移動検診が行われてきたが、日本側、ベラルーシ側の関係者を通じて、ただ一人だけ、そのすべての検診に参加した人がいる。
 山田英雄さん。旧ソ連の医師免許を持つ医療通訳だ。唯一であるが故に、代わりがいない。
 1968年、社会主義への憧れと、原爆の後遺症で苦しむ母を助けたいという想いを胸に、高校卒業後、旧ソ連のパトリス・ムルンバ名称記念民族友好大学医学部に進学した山田さんは、「最初の頃は、何言いおるんか、さっぱり分からんかった」という状況のなかで、ロシア語と医学の知識を脳に練り込んでいく。
 高校を卒業したばかりの山田さんに当然、医学の知識はなかった。難解なロシア語を通しての医学の授業は、ついていくのだけでも大変で、予習と復習に多くの時間を費やす毎日だったという。
 その後、現地の女性と学生結婚して、子どもも授かり父親になった山田さんは、1945年に帰国。日本の医師になるべく、国家試験を目指していた頃、チェルノブイリ原発事故が起きた。
 「ベラルーシ」という、旧ソ連崩壊後にできた国への医療面での支援が始まり、語学と医学の知識を兼ね備えた山田さんの能力が必要とされた。以来、ベラルーシに渡航すること40回以上。ベラルーシをはじめロシアの国々への医療支援において欠かせない人となる。

 不思議なことが一つ。
 過去、8回ほど山田さんとベラルーシに行った運営委員は、辞書を引く山田さんの姿を見たことがない。
 「辞書は持ってきているんですか」と問うと、「いや、持っていってないよ」ときっぱり。
 「検診中、分からない単語とかないの?」と聞くと「ある」という。だが、山田さんによれば、「辞書を引いて調べるよりも、現地の人に聞いて学んだ方が、よっぽど語学力がつく」のだ。そして、「大切なのは、確かなことを教えてくれる人が現地にいるか、どうかなんよ」と言い切る。
 それは、単に言葉のやり取りだけに限った話ではない。「過去5年間、ベラルーシで行われてきた検診も、結局信頼できる人のつながりがあってこそのものでしょ」
 チェルノブイリに関わる人でなければあまり耳にしないベラルーシという国の、しかもその地方の病院で、日本の医師が甲状腺の検診を行う。と、言葉にしてみれば、ただそれだけのことをするための下準備は大変なものだ。いきなりベラルーシの病院を訪れて検診が実施できるはずもない。
 どこに検診を必要とする病院があり、どんな機材が不足しているか?
 検診を実施するうえで大切なのは、こうした基本的なことについて、「確かなことを教えてくれる人が現地にいるか、どうか」
 そうでなければ、せっかくの医療物資も病院の片隅で使われないまま置き去りになってしまう。

 チェルノブイリへの支援が始まった当初、山田さんは支援の内容と、現地の状況がかみ合ってないことに驚いたという。現状を知らずに、気持ちばかり先走る「支援の押しつけ」にならないようにするために、山田さんは、現地との深いつながりを作るよう心がけていく。
 「これが、ぼくの財産、これなしには何もできないからね」とある日、山田さんは小さなアドレス帳を取り出したが、そこには、きめ細かなロシアの文字で名前と住所、電話番号が書き込まれていた。
 まさに、そのつながりのなかで、適切な医療支援が実施されていくのだ。
 さらに、日本の医療関係者が、スムーズに検診活動を行える環境を現地で整えるのも、山田さんの仕事だ。日本の医師や臨床検査技師の要望を受け止め、それをベラルーシ側に伝える。日本から電話で情報交換するためには、時差の都合で深夜に連絡しなければなならない。日本側の要望を強く押しつけ過ぎないよう、かつお互いが気持ちよく検診に取り組めるようにするために、バランスよく言葉をつなぐ。

 過去5年間の検診を振り返って、山田さんは「とにかく継続してこれたことが、一番大きい」という。「継続することで、また人のつながりが豊かになってきた。5カ年計画を終えて、今度はブレストに新たな拠点を作れるのも人のつながりがあって実現できることだから。」
 山田さんの視野と人のつながりは、とチェルノブイリだけに限らない。うっすらと記憶に残る原爆で破壊された広島の街。それは、山田さんの原風景となり続け、そこから地球上に数多く残る「核」の問題へと問題意識は広がる。チェルノブイリ、そして現在はカザフスタンの核実験の被害者へとさらに活動のフィールドは広がっている。
 今後の抱負は、「モスクワに移住してゆっくりしたい」と言うが、医療コーディネーターとしての忙しい日々は続きそうだ。

検診現場にて通訳する山田さん 検診結果を現地の医師と確認する
検診現場にて通訳する山田さん(右端) 検診結果を現地の医師と確認する
日本とベラルーシの間での仕事が続く
日本とベラルーシの間での仕事が続く
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