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チェルノブイリ通信 No.49 (2)
2001年3月10日発行
「〜原発事故から15年〜チェルノブイリからの報告」開催に向けて
・発行から4年、もう一度振り返る
作文集の作者たちは今・・・リュドミラチュプチクさんの紹介
現地を訪れる意味 チェルノブイリスタディーツアーの思い出

発行から4年、今一度振り返るあの作文集の意味
 作文集 子どもたちのチェルノブイリ
 「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」との出会い

 チェルノブイリの歴史を世界に証言した作文集「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」は、世界各地で翻訳され、日本では1996年にチェルノブイリ支援運動・九州から出版された。>
 その際に、翻訳を担当したのが菊川憲司さん(チェルノブイリ支援運動・九州)である。翻訳者冥利とでも言うべきか。恐らく、日本で最初にこの歴史的な作文集に触れた人物であることは間違いない。>
 独り、原文を読み解くときながら、何を想ったのか。>
 そして、過酷な状況を描く幾つもの作文のなかで、一番印象に残ったことは?>
 チェルノブイリへの支援には絶対に欠かせないロシア語通訳として、長年、支援活動に取り組んでいる菊川さんからの、作文集「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」との出会いのレポート。

 今、ベラルーシで活躍するワゴン車「雪だるま号」の名称の由来は、チェルノブイリ支援運動が出版したベラルーシの子どもたちの作文集「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた・子どもたちのチェルノブイリ」からである。
 この作文集のなかで一番感銘を与えたのが同名の作文であった。わたしもベラルーシから送られてきた分厚い原稿のなかで翻訳していて一番感銘を受けた作品であった。ベラルーシの作文コンクールの委員会でも同様の評価を得たそうである。次にこの作文を簡単に紹介しよう。

*死の一ヶ月前からの手記
 少女の死の一ヶ月前から日記の形で彼女の心理状況を描いたものである。少女ナージャは腫瘍専門病院に入院している。チェルノブイリの放射能の影響でガンにかかり入院している子どもたちばかりである。春も近い雪が降ったある日、男の子が雪だるまを作って女の子の病室にもってきた。そこには「最後の雪です」とのメッセージが書いてあった。それを見て女の子たちは泣いてしまった。
 そこの病院では次々に子どもたちが死んでいく。そしてこのナージャも体力がおちていくのを自覚し始める。まわりも彼女にたいして哀れみの態度を取り始める。しかし医者は回復したから自宅療養をするようにといった。ナージャは退院し、その20日後に自宅で死んだのである。
 この作文には民話が挿入してある。領主から脱走し殺された少女が死んだ場所に生えたナシの木があった。そのナシの木はチェルノブイリの放射能の汚染の理由で切り倒された。この国の子どもたちを抽象化しているのだろうか。
 日記は生へのあこがれがいたるところに満ちあふれている。死の寸前まで生きようとする力がみなぎっている。

*多くの人がこの作文集の編集や出版に協力した
 この作文集は1994年春にベラルーシのチェルノブイリ同盟が教育省の協力のもとに全国の小中学生を対象に「私の運命の中のチェルノブイリ」というテーマで作文コンクールをおこなった。応募してきた500を越える作文の中から選んで出版したものである。日本語版はベラルーシとほとんど同時に出版された。その後英語版、ポルトガル語版が出版されている。
作文集の翻訳、編集作業に多くの人が参加した。このようなことも出版の世界では珍しい。ベラルーシ語版の作文の数を半分にしないとあまりにも分厚くなり安く作れない。そのため半分にする作業が必要になった。それを多くのひとに原稿の段階で選んでもらったのである。神奈川のある高校のクラスでは全員で読み、ランク付けをしたそうだ。

*反原発の大きな力と、若い世代の運動への参加
 日本語版は多くのみなさんの力で1万部が売れた。原発立地の串間では10世帯に1冊の割合いで普及したそうである。当時原発誘致か反対かで揺れていた串間市長選挙で反対の意志を表明した候補が勝ったのもこの作文集の影響かもしれない。
 出版で一番良かったことは支援者が多くなり、運動を支える若いスタッフが増えたことである。チェルノブイリ支援運動はまだまだ続けなければいけない事業である。それこそ子々孫々にまで伝えなければいけない事業であるからである。
 この作文集は子どもたちの歴史の証言の書である。チェルノブイリの原発事故の影響を見たまま聞いたままを書き残している。そして生への渇望を表明しているのである。私が翻訳をしていて強く感じたのもそこであった。
 チェルノブイリの原発事故はソ連崩壊の一つの原因であったかもしれない。ソ連の崩壊はベラルーシにも経済的困難をもたらした。原発事故の放射能汚染も経済社会的危機を増幅させた。こういう状況下で私たちが出来るのは限られている。ベラルーシの人々の力に少しだけでもなりたいものである。
作文集が発行されて5年が過ぎた。作文を書いた子どもたちはもう青年である。彼らの世代は幼時に受けた被曝のリスクをおって生きていくことになる。しかし作文に書いた生への渇望は持ち続けるに違いない。
今一度、本書を多くの人々によんでもらいたいものである。

文・菊川憲司 (チェルノブイリ支援運動・九州 顧問)

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