運営委員長 津島朋憲のつれづれ日記 津島朋憲
最近、チェルノブイリの活動について、大勢の前で話す機会が多い。大勢を前にしてなにかを伝えることの難しさを実感することしきりである。
集まった人の年齢層、それぞれの興味の対象、これまでどれだけこのような活動に関わってきたか、それがゴミ問題なのか、原発問題なのか、町おこしなのか、自動関係なのか、国際問題なのかなど、人が10人集まれば10種類の答えが返ってくるような情報を元にして話す内容を決めなければならない。
さて、ここまで書くとこれは講演の話のようだが、これは活動方針そのものにも深く関わってくる。我々の活動は、支えてくれる人がいなければ成り立たないからである。そしてそれは、僕が講演で話すよりも、ずっと多くの人にこうして会報などを通じて広報されることによって伝えられた結果でしかない。
チェルノブイリ支援といっても、その活動内容は様々で、我々のような専門家を複数派遣し高度医療支援を中心とする団体は世界的に見ても少なく、現地の実状報告そのものが活動の主体であったり、支援物資の供給が主体であったり、現地の子供を日本に呼んで一緒に過ごすのが主体であったりする。
それぞれの団体の様々な考え方と可能性と選択肢の中で、どの活動がもっともすばらしいかは誰にもわからないし、どれがより高い優先性を持つかの判断は各団体と支援者の判断にゆだねられることになる。そうして決断された優先度が高いものの中から、それぞれの良心が反映されるひとつを選ぶときに、実は多くの活動や団体が主眼に置くのは「理解が得られるか」「多くの人に支援が受けられるか」だったりする。
しかし、そうして決められた活動で、日本に限らず世界中の団体のほとんどが手を着けていない分野がチェルノブイリ支援にはある。リクビダートル(原発労働者)問題である。旧ソ連時代に旧ソ連全体から集められた公務員(軍属・警察官・消防官など)が主体で、もともと記録が不十分なせいもあり、それぞれが分離独立してしまった今となってはその実数は正確に把握できない。
支援運動・九州では近々、詳細な実態調査をする予定である。伝え聞く限りでは状態は悲惨だとのことだ。一家の働き手である大黒柱を失った家族は、離散の危機にも瀕する。この問題がこれまで世界中の支援をほとんど受けてこなかったのは、状況もその映像も悲惨すぎるためと、募金が集まりにくい構造があるからと、伝え聞いている。
今、ブレスト州立病院での検診が開始され、小児甲状腺ガンの早期発見検診が更なる展開を見せていく中、現地の作業所支援や、社会支援、事故で傷ついた心の精神的ケアなど、今後の活動は多岐に渡ることになると思います。
この活動に共鳴していただけるためなら、いろんなところに気軽に出向いていって現地のことをお知らせするのはやぶさかでありません。出来れば微力なこの力を役立てる機会を頂きたく、ご連絡をお待ちしております。 |