チェルノブイリ支援運動・九州 トップページチェルノブイリ支援運動・九州 トップページ
 > トップ通信No.61 (1)
チェルノブイリ通信 No.61 (1)
2004年9月24日発行
・ベラルーシ旅日記
チェルノブイリ調査隊報告
ベラルーシの旅・チェルノブイリ調査隊報告
雪だるま2号関連報告
チェルノブイリと関わる人々
手島雅弘チェルノブイリ写真展を訪ねて
ベラルーシ旅日記
チェルノブイリ調査隊の行程記録

8月18日(水) 成田に前泊
 今、福岡空港に向かっている。こうして電車の乗客を見ていると、やはり日本人ばかりだ。普段、自分が日本人だと意識することはないが、 ベラルーシでは日本人がかなり珍しいらしい。こんなにたくさんの日本人を見られるのもあとわずかと思うと、いつもはただの他人なのに、 妙に親近感がわき、日本を出るのが心細くなる。
 何か忘れ物はないだろうか。何度も確認したが不安だ。昨日、事務所で矢野代表に「何か忘れていそうで心配ですね。」と言うと、 矢野代表は「心配しなくても必ず何か忘れているから大丈夫だよ。」と言い、あっさりその場は終わってしまった。 ベラルーシでの滞在を乗り切るためには、これくらいの精神的なゆとりが必要なのかもしれない。

8月19日(木) 成田−モスクワ−ミンスク
 現在の時刻、モスクワ20時55分、日本は深夜3時。今、モスクワ第1空港で、ミンスク行きの便を待っている。もうすっかり夜と言って いいはずの時間なのに、空は夕方、夕焼け色に染まっている。

8月20日(金) ベラルーシ赤十字訪問、ミンスク1番病院訪問
 ベラルーシ赤十字では、今回の調査隊に課せられた最も重要な任務である「雪だるま2号」贈呈についての打ち合わせ(本誌11ページ:雪だるま2号関連報告参照)がなされた。 重く張り詰めた空気が始終、漂っていた。交渉は矢野代表が行い、私はその様子のメモを取り、写真やビデオの撮影をしていただけだが、 ベラルーシ赤十字をあとにしたときには、その場に居合わせていたというだけで、かなりの疲労感が残っていた。

8月21日(土) ゴメリへ移動
 午後、ゴメリに移動した。何もない道をひたすらドライブ、4時間半。ベラルーシの空は低く感じる。きっと高さを感じさせる山も建物もなく、 空と地面とが重なる線が見えるから目が錯覚するのだろう。
 ゴメリのホテルは他と違い明るい雰囲気できれいだが、今日はお湯が出ないらしい。

8月22日(日) 「のぞみ21」スタッフ家庭訪問
 今日は工房「のぞみ21」スタッフの家庭訪問をした。甲状腺ガンの摘出手術を経験したエレーナさんは、大きな手作りケーキでもてなしてくれた。 はにかみ屋さんのエレーナさんは刺繍が得意で、工房で他のスタッフへの指導もしているそうだ。次に、水頭症のタチヤーナさん宅は両親そろって迎えてくれた。 タチヤーナさんは一人での外出ができないため、工房に行くことはほとんどなく、自宅で作業をしているそう。 最後に、工房の経営者であるステファンさん、ナターシャさん夫妻宅に招いてもらった。ナターシャさんはとても料理が上手で、おいしいベラルーシ料理をごちそうしてくれた。 これで、次回のベラルーシ料理教室のメニューが決まった。

8月23日(月) 「のぞみ21」の工房見学、ゴメリ州立内分泌病院訪問、ミンスクへ移動
 深夜23時。心配事があって眠れない。明日はミンスク10番病院の訪問を予定しているが、何も支援物資を手配できなかった。 年々、ベラルーシの税関は厳しくなり、医薬品などの持ち込みは困難になっている。このため、今回は全て現地購入。ブレストやゴメリの病院用の ホルモン剤だけ事前に注文し、残りは現地で打ち合わせて買う予定だった。しかし、こちらの会社はドイツから製品を仕入れているため (ベラルーシ製のものはない)、注文してから届くまでに1ヶ月半くらいかかるという。そうした経緯で10番病院には何も用意できなかった。 明日の訪問が心配だ。

8月24日(火) 10番病院訪問、ブレストへ移動
 今日は、ドライバーのタデオシュさん、セルゲイさんとたくさん話すことができた。タデオシュさんとセルゲイさんは、 連日、私たちのために長距離の移動を安全にこなしてくれる。みんなの命を預かるのだから責任も重く、体力的にもかなりきつい仕事だ。 けれども嫌な顔ひとつしない。

8月25日(水) ブレスト内分泌診療所訪問、ブレスト要塞見学
 午前中、ブレスト内分泌診療所を訪問。チェルノブイリ支援運動・九州が、甲状腺ガン検診の拠点としている病院だ。 3月に広島に研修に来ていたアリーナさんもここにいる。彼女が載っている「チェルノブイリ通信59号」を渡すと、とても喜んでくれた。 ブレストには支援運動・九州の現地スタッフであるリューダも同行してくれたが、このところずっと体調がすぐれないらしく、つらそうだった。 リューダも甲状腺の摘出手術を経験している。身体の不調は、10年以上飲み続けてきたホルモン剤の副作用ではないかと言われている。 これからも飲み続けなければならないのに。

8月26日(木) ストーリンに移動、患者インタビュー
 今日は嬉しい再会があった。ストーリン病院でインタビューした青年は、あのヴィクトル少年(「チェルノブイリ通信48号」参照、 P4に写っている男の子がヴィクトル。)だった。ヴィクトルはストーリン第7回検診で診察を受け、ミンスクでの治療・手術を指示された。 その後、「雪だるま号」に乗ってミンスクの甲状腺ガンセンターに行き、甲状腺を摘出する手術を受けた。さらに第8回検診で術後の診察も受けている。 そして4年後の今、経過は順調だそうだ。

8月27日(金) 午前:ミンスクに移動 イリーナさん、リューダにインタビュー
 昨晩は大雨だった。今朝からもずっと降り続いている。8月なのに、日が差さないと本当に寒い。もう秋だそうだ。 秋は雨の季節だとリューダが教えてくれた。みんなが、現地NGO「コンフィデンス」の代表イリーナさんにインタビューをしている間に発送の手続きに行き、 「のぞみ21」で仕入れて来た民芸品を日本に送る手続きをした。国際宅急便を利用するのは、今回が初めての試みだ。うまく行けば、今後、 「のぞみ21」の民芸品を定期的に購入することができるかもしれない。中に入っている物の種類、数、単価と合計金額まで全て正直に申請しなければならない。

8月28日(土)・29日(日) ミンスク−モスクワ−日本
 モスクワ空港で乗り継ぎのため、12時間くらいつぶさなければならない。成田行きの便を待っていたら、続々とビジネスマンや観光客らしき日本人たちがやって来る。 ここだけ、もう日本だ。
 予測していなかったトラブルや失敗もあり、滞在中にロシアの航空機が墜落するという事件もあったが、今回もみんな無事に帰国することができて本当によかった。
次の頁へ 次のページへ
この頁のトップへ 上へ
■NPO法人 チェルノブイリ医療支援ネットワーク
    Chernobyl Medical Support Network
  〒807-0052 : 福岡県古賀市駅東2-6-26 パステル館203号
  TEL/FAX   : 092-944-3841   e-mail : jimu@cher9.to
  Copyright © 2011 Chernobyl Medical Support Network All Reserved.
ベラルーシ料理と民芸品の部屋
今後の予定原発事故支援運動・九州移動検診出版物通信リンクサイトマップ