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チェルノブイリ通信 No.61 (2)
2004年9月24日発行
ベラルーシ旅日記
・チェルノブイリ調査隊報告
ベラルーシの旅・チェルノブイリ調査隊報告
雪だるま2号関連報告
チェルノブイリと関わる人々
手島雅弘チェルノブイリ写真展を訪ねて
チェルノブイリ調査隊報告

命の大切さ、命輝く生き方を
   子どもたちに伝えるために

心に刻み込まれた
   数々の写真から辿るベラルーシの旅

小山 浩一(おやま こういち)
 2002年より日田郡中津江村立中津江小学校勤務。平和・人権・環境などの学習を通して「命」をついて考える取り組みを実践。 障害を持つ友人との交流、福岡県筑穂町の産廃処分場見学、チェルノブイリ原発の学習をはじめ、 夏休みのキャンプを原爆の火の燃え続けている福岡県星野村で行い、また秋の修学旅行では、長崎での原爆学習とともに 水俣での水俣病学習も予定している。


 小学校で「命」をテーマに子どもたちと学習を続けています。「命」を脅かすものは何か、命輝く生き方とはどんなものかを追求しています。 そのために「命」と関わる人や事物を、借り物の資料からではなく、本物との出会いを通して学び、自分の人生の土台としてほしい。 そんな願いから、勤務している大分県日田郡の中津江小学校の7人の6年生とも、5年生の時から平和・人権・環境などの学習を通して 「命」にせまってきました。8月6日の平和学習では、全校69人の子どもたちに、広島の折り鶴の少女、佐々木禎子さん、イラクの白血病の少女サファア、 そして今回ベラルーシでお会いすることになるリューダ・ウクラインカさんを紹介しました。原爆、ウラン弾、原発事故と形はちがっても放射能のもたらす 影響の恐ろしさは同じであることを話しました。しかし、どんなに恐ろしいことなのかを正しく伝えることは難しいことです。 私自身が知りません。2000年に福岡でリューダさんたちの話は聞いたものの、自分の目で現地の状況を確かめて子どもたちに伝えたい。 そんな思いを持ち続けていた中で、支援運動・九州のチェルノブイリ調査隊の案内に接し、迷うことなく申し込みをしました。 「雪だるま2号」募金活動に一緒に参加してくれた家族も、また中津江小学校の子どもたち、職員も快く送り出してくれ、11日間のすばらしい ベラルーシの旅からたくさんのことを学ぶことができました。多くの人の期待を胸に降り立ったベラルーシは本当に美しい国でした。 映画「アレクセイと泉」そのままに、広大な畑と森の国。首都ミンスクでさえ、街のすみずみまで木のあふれる緑の国でした。 修学旅行の下見で8月初めに訪れた水俣も海の青と森の緑の鮮やかな美しい町でした。こんな美しい国や町が世界にも類のない恐ろしい災禍に 見舞われた運命の皮肉を思わずにはいられませんでした。驚きと喜びの連続だった旅のどこをどう伝えたものか、限られた紙面では困難ですが、 これまでの支援活動の実際を知らない者として、まず伝えたいことは、今回訪れたミンスク、ゴメリ、ブレスト、ストーリン、それぞれの土地の人々に、 チェルノブイリ支援運動の足跡をしっかりと見ることができたことです。現地とのコミュニケーションの難しさから来る個々の問題はあるものの、 長年に渡る地道な支援の積み重ねが確かに感じられ、これまでの努力に敬意を表したいと思います。 さて、私は何を学んだのか。過密スケジュールの中で、日本のみなさんに、とくに学校の子どもたちに伝えることをどう記録するか。 私が最も重視したのはデジカメによる記録です。私が見落としたり、忘れたこともカメラは覚えてくれます。可能な限りたくさんの写真を何百枚と撮りました。 その何百枚の中から、私にとってとくに意味深い何枚かの写真を紹介することを通して、私の学んだことをお伝えしたいと思います。

オレグの「眼」
 ゴメリ市にある工房「のぞみ21」のステファンさん、ナターシャさんのご自宅を訪問し、ナターシャさんのすばらしい手料理をごちそうになりました。 福岡でお二人の話を聞き、亡くなった息子さんのオレグのことも知識としては知っていました。だれもいない部屋に入ると壁にオレグの写真。 初めて見るオレグはやさしそうに微笑んでいました。その写真の横に一枚の絵。大きな「眼」を中心にした抽象画です。 じっと見つめていると、突然うしろから「オレグ。」とステファンさんが悲しい顔つきで教えてくれました。「オレグが描いた。」という意味です。 その時はじめて、息子を失った両親の本当の悲しみが伝わってきました。私達を心から温かく迎えようとしてくれる二人の思いの根元に、その深い悲しみのあることを感じることができました。

18歳の少女の検診
 ブレスト市悪性腫瘍病院。アルツールさん、ウラディミールさんに案内されて入ったエコーの検診室。実際にエコー検査が行われています。 中年女性の次に入ってきたのはまだ幼い感じの残る少女。1986年に生まれた少女とのこと。甲状腺ガンのリスク・グループ(86年に0歳から18歳)の中で一番若い世代の若者です。 放射性ヨウ素の半減期は2週間なので、次の年(87年)以降に生まれた子どもたちに原発事故による甲状腺ガンはないはず。悪性腫瘍病院の先生も「甲状腺ガンの問題は百年で終わる問題。」と言っていました。 この18歳の少女は、学校の検診で異常が発見され、悪性腫瘍病院で見てもらっているとこのとでした。百年で終わる問題だとしても、 甲状腺ガンの手術を受けた人たちは生涯、チロキシンを必要としています。支援運動の使命はまだまだこれからも重要だということを痛感しました。  同じ病院のアリーナさん(通信59号で紹介)は、顕微鏡で細胞を検査していました。ガン細胞も見せてもらいました。日本で学んだことを生かして検診の最前線で働く先生達を力強く思いました。

運転手セルゲイさん
 ミンスクを中心に三地方へ合計約2000キロの道のりを安全に(でもかなりのスピードで)運転してくれた二人の運転手さんとは、 言葉が通じないもどかしさを感じていましたが、24日夜の食事でウォッカを傾けあい、いっぺんで仲良しになりました。 国際赤十字の職員で、私たちに同行したイレーナさんの英語にも助けられて盛り上がったのはいいのですが、 次の日は二日酔いでたいへんでした。でも、心が通い合う楽しい機会が持ててたいへんうれしかったです。言葉と言えば山田さん、 マリーナさんに大いに助けられましたが、ロシア語が話せたらどんなにいいだろうと思いました。

コンフィデンスのイリーナさん
 帰国の前日、現地のNGO「コンフィデンス」のイリーナ・アリノヴィチさんがホテルに来てくれました。 イリーナさんの娘さんも白血病になり、同じように苦しむ子を持つ親などで支援のための団体を作ったとのこと。 チェルノブイリ被災者へのあらゆる面の支援、若い人への健康啓蒙教室の開催、出産後の母子に汚染されていない食事を供給したり、 汚染のない土地で長期に療養させたりなどの支援活動を地道に行っています。「国は何もしてくれませんでした。」という言葉には 強い怒りがこめられていました。それなら自分たちでやっていこうと、13年間に渡っ活動を続けてきました。 支援活動のあるべき姿を見せてもらった気がします。

工房「のぞみ21」へ 小山家から鶴をプレゼント
 ゴメリの「のぞみ21」を訪問しました。最も行きたかった場所の一つです。わが家のみんな(妻と4人の子ども)で、ステファンさん、ナターシャさん、 エレーナ・ノビコワさん、リューダさんの話を聞きに福岡市に行ったのは4年前。今回の旅が近づいてくると中2の娘が中心になって鶴を折り始めました。 千羽鶴とは行きませんでしたが、家族の思いを必ず届けようと、ナターシャさんに手渡すまで壊れないように大事に運びました。「のぞみ21」のみなさんにも家族の話を伝えました。 ここで作られる品物をたくさん購入し、参加の4人で分け合って日本まで苦労して持って帰りました。「のぞみ21」のみなさんが一生懸命作っている様子も見てきました。 かわいらしい品物ばかりです。みなさんたくさん買って下さい。新商品の携帯電話入れは今後ヒット商品になるのではないかと期待しています。 私はマトリョーシカ・キーホルダーをどっさりと。矢野代表とお揃いの麻のシャツも購入(矢野さんはちょっと嫌そうにしていましたが・・・)。

リューダのビデオレター
 写真ではありませんが、帰国前日に何よりのおみやげができました。リューダから中津江小学校の子どもたちへのビデオレターです。 ベラルーシで彼女に会った日からブレスト・ストーリンへの道中をずっと同行してくれ、その間も中津江小での取り組みを少しずつ話してきましたが、 彼女はきちんと聞いてくれていて、これまで自分に起きたことをくわしくビデオに向かって話してくれ、同じような災禍が二度と日本でも世界でも起こらないように、 とのメッセージをくれました。このビデオレターを見て、「先生から聞いた遠い国の話」ではなく、リューダという人を通して世界がつながっていることを 中津江小の子どもたちはきっと感じてくれることでしょう。学校で中津江の子どもたちにこのビデオ見せる日が待ち遠しく思われます。

さいごに
 ベラルーシでたくさんの人に会い、チェルノブイリ事故のその後の状況を見、チェルノブイリ支援運動・九州のこれまでの足跡を見て、これからの自分を考えました。 自分にできることは何か。今回の旅で学んだことを少しでも多くの人に伝えること、そして支援のための活動にこれまで以上に力を入れることにがんばっていこうと強く思っています。
 今回の旅で、最も残念だったことがあります。それは、ベラルーシの音楽に接することができなかったこと。「アレクセイと泉」でお年寄りのみなさんが歌い踊っていたあの音楽。 それは、「次回(?)」に取っておくことにしましょう。 小山 浩一
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