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チェルノブイリ通信 No.71 (3)
2007年11月28日発行
行ってきました!初めてのベラルーシ
ゴメリの福祉工房「のぞみ21」スタッフを訪ねて
現地医師の成長と今後のチェルノブイリ支援の行方
ベラルーシでの検診に参加した医学生からの報告
甲状腺ガンの診断方法はほぼ完成!
いよいよ形になったこれまでの努力
医師の技術の向上と、移動検診システムの有効性
検診を受けた患者たちの声
今年で第4回目「チャリティヘアサロン・スネガビーク」  

ブレストにおける第7回検診、第27次調査報告
ベラルーシ現地医師の成長と、今後のチェルノブイリ支援の行方

報告/津島 朋憲(チェルノブイリ医療支援ネットワーク理事)

検診
ベラルーシを訪問した津島理事

ブレスト検診について

 今回は参加予定だった3人の医師のうち、2人が参加できなかったこともあり、現地での吸引穿刺がどのような流れで行われているかを見る良い機会になりました。象徴的には初参加の方から「私たちが支援する必要はあるのでしょうか」と言われたように、吸引穿刺そのものを含む、精密検査必要患者の選別と、当日の検診は我々の手を借りる必要がないところまで進歩していました。

 当初、ストーリン地区病院でアルツール医師と初めて会ったとき、彼はまだ吸引穿刺をしたことがありませんでした。また数年前、アルツール医師が広島で研修を受けた後で「医学生レベルまでは到達した」と武市医師に評価された吸引穿刺も、現在では日本の医師以上の熟達度に到達しているとのこと。これは日本の医師でもこなさないほどの数をこなしていることが理由にあるようです。

 逆に、そうした状況下でもまだ達成されていないこともまた、はっきりしました。「染色の技術」と、「染色のための薬剤」、そして「細胞診断能力」です。通常は検診の中心であるアルツール医師の奥さんであるアリーナ医師がこれをやっているのですが、現在は産休中で病院にはいなかったため、今回の検診ではこれらに関する医療レベルの上昇をはかることは出来ませんでした。これは吸引穿刺についても言えることで、技術を習得した医師が少ないことによる、目に見えない部分での検診の不安定感はまだ残っています。

 染色に関しては、通常は処理過程も薬剤使用量も少ないギムザ染色をやっているとのことですが、渡會検査技師によると、パパニコロウ染色をしないと日本で行っているような細胞診断は厳しいとのこと。現在はパパニコロウ染色をするための最大のハードルは薬剤の不足であるとのことです。まずは潤沢に薬剤を供給することが必要と思われました。染色そのものは研修で学んでいますし、今回のパパニコロウ染色用の薬剤をアルツール医師は非常に喜んでいました。今後、染色の回数をこなすことでパパニコロウ染色の技術は上達していくと思われます。薬剤の調達は出来るだけ安価で便利な調達を目指し、ワルシャワでの購入を中心に試行錯誤を進めていくことになっています。ワルシャワはポーランドの首都で、ブレスト市はポーランド、ベラルーシ国境にあり、ミンスクでの調達よりは様々な便宜があるようです。薬剤そのものの価格は年間で数十万円程度と思われます。

 細胞診断能力は、やはり教える人が一緒にいなければ上達しません。今回はインターネットを使った顕微鏡写真のやりとりを見据えていましたが、2年前に供与した顕微鏡アタッチメントがついた未使用のニコン製のデジタルカメラが故障しており、日本に持ち帰って修理することになりました。インターネットを介した画像のやりとりは、画質、現地のインターネット接続環境など、様々なハードルが予定されていますが、今後も継続して計画を進めてみたいと考えています。

 また、大きな気づきではないものの、必要性を感じられた機材に遠心分離器がありました。全体の数%のケースで、細胞を遠心分離器にかけて検査する必要があるものがあるとのこと。これまでは別の病棟にあるものを比較的イレギュラーに持ち出して使っていたりしたのですが、安めのものでいいので内分泌診療病棟にないと不便な程度に検査技術も進歩してきているとのこと。次回支援で援助できればと考えています。

 検診全体に関しての今後の方向性として、個人的な感想では、今後の現地への派遣は医師から検査技師主体のものに変化する可能性があるなという印象です。派遣団そのものの規模も小さくし、回数を再び年に2回に出来ればと思っています。

現地の経済事情について

 自分は99年に初めて現地入りして以来、4回目の訪問でした。当初は、デジカメをめがけて10人ぐらいの人に取り囲まれて様々な質問をされた経験がありますが、今ではデジカメも携帯もみなさんが普通に所持しています。平日だったので人は少ないものの、公園の地下に作った地下4階程度のショッピングモールも2007年年初に完成していました。ミンスクのレストランのテレビでは西欧のMTVが字幕ナシで流れています。ホテルの朝食はバイキングになっていました。西欧からの旅行者(ビジネス目的)もかなりの数になっています。モスクワ、ミンスク、ブレスト、ワルシャワ、ベルリンという東欧最大の幹線道路も片側2車線で鏡のようにきれいな舗装になっていました。

 2000年まで1泊7〜11ドル(朝食つき)で宿泊できたホテルは、1泊100〜120ドルにもなり、ベラルーシ赤十字の紹介で現地人価格で宿泊しても、50ドル弱の費用がかかるようになっています。ホテルなどは設備そのものがあまり変化していないので、相当の割高感があります。

ミンスク市
ミンスク市内の風景

 最悪の状態に比べて、外貨ベースでの所得は4〜5倍になっており、国際的にはまだロシアほどではないものの、ベラルーシ全体の経済的な傾向は多くの国民の支持を受けている状態だと、日本でのニュースでは読んだことがあります。

 小児血液センターの取材もさせてもらいましたが、そこにある検査機材は、高いものほど日本と同等かそれ以上のもので、「見学と言うよりは自慢された気がした」という専門家の言葉もありました。

 もちろん日本とは比較にならないほどの貧富の格差の拡大と共に、こうした経済発展をしつつあるという現実は毎回のように再確認されつつあります。現地NGO「コンフィデンス」の取材で聞いたところでは、一般的な初任給では80ドル程度であり、これはミンスク市内では家賃にしかならないとのことでした。これは経済発展と共にインフレが進んでいるのに、丘陵がそれに併せて上昇していないためであるようでした。

 また、最底辺の生活レベルと共に、そうした「お金ですぐにあがなえる機材やインフラなど」に比べて、ソフト面のレベルはそれほど急激に進歩しません。たとえば象徴的にはブレストにおける吸引穿刺が出来る医師と、検査の出来る医師、費用が高い染色手法の習得などをはじめとして、そうした先進的な機材を使うための技術、その機材を補完的に運用するための顕微鏡などの比較的安価な機材(医学生の教材レベルだったそうです)などは、ちぐはぐに遅れている印象が強かったようです。

 数年前まではベラルーシ国内での血液製剤の汚染問題なども日常的にあり、そうした「お金ですぐにあがなえないもの」に関する遅れはまだまだ残り続ける印象があります。

 また、そのほか民芸品などの輸送に関して直に触れた部分では、政府そのものはかなり閉鎖的で、そのことによって苦しめられている人はかなりいるのではないかということでした。

総括として

 我々の医療支援活動の一部(吸引穿刺とその検診、手術までの流れ)は、「これまでと同じ支援はすでに必要ない」ほどに実を結びました。これははっきりしています。これは様々なNGOの活動を学習していくなかでも、かなり実質的な活動効果を挙げていると考えて良いです。

 現地の医療システムを精密に観察し、それにあった形での支援を続け、パートナーをみつけられたことがその理由であると思います。

 同時に、今後の課題について、同じ手法で現地医療レベルの向上をはかる具体的内容にも至ることが出来ました。引き続き現地への暖かい支援を心よりお願い申し上げます。

 
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