かくして、10回目の検診は・・・
ベラルーシの西の果てにて生まれる検診の新たな拠点
いつもと変わらぬ診察風景 しかし・・・
ベラルーシ共和国ブレスト州の西の果て。ポーランドと国境を接し、どこかヨーロッパの雰囲気が漂う州都ブレスト。同州のストーリン地区に引き続く検診プロジェクトの新たな拠点となるその街で、第10回目の検診が予定されていた。5カ年計画で始まった移動検診を締めくくり。そして、線から面へと検診の規模を広げるための第一歩として。
2001年11月。新たな検診の拠点となるブレストの内分泌診療所。冒頭に掲載されている写真が示す通り、そこでは、いつもと変わらぬ検診風景を見ることができた。
問診、触診、エコーによる画像診断、吸引刺穿による細胞診。ベラルーシで甲状腺ガンの検診が始まって依頼、チェルノブイリ通信で、あるいはパンフレットで、果たして幾度この説明を繰り返し記述しただろう。
喉に手を当てての触診。注射器で甲状腺の細胞を採取する様子など、チェルノブイリ通信の読者であれば、写真ですでに見慣れたものになったその風景。
しかし・・・
正確に言うと、第10回目となる今回の検診は中止になっていた。理由は、9月11日の同時多発テロ、ウクライナでの民間機誤爆事故、そして、それに伴うアフガンへの空爆。
ベラルーシへの渡航途中で足止めを食う可能性が高くなった以上、日本で多くの患者が待っている医師を派遣させるわけにはいかなかった。そして新たな拠点となるブレストを医療機関の調査のため、現地を訪れたのは、医療コーディネーターの山田英雄、事務局の谷口恵と私の三人だった。
検診を行っていたのは、
だから、掲載されている写真も、実は「いつもと変わらない」わけではない。日本の医療関係者が、その場にいないという点で、それはいつもと決定的に違っている。
だが、写真だけ見れば、いつもと変わらない検診を行っているように見える。
なぜか。
この5年間におけるベラルーシでの継続的な検診を通して、日本の技術を現地に届けることができたからである。
写真のフレームのなかで検診を行っているのは、アルツール医師とウラジミール医師。これまで誰よりも熱心に検診に参加し、これまで検診に参加したすべての日本の医師から検診技術を学んできた二人だ。
向学心の源にある厳しい現状
2人には、熱心にならざる得ない逼迫した現状があった。
国際赤十字の検診チームに所属する彼らは、1ヶ月のうち3週間を移動検診のため、ブレスト州全土の旅に費やし、年間35,000名もの患者の甲状腺を見て回る。
数多の甲状腺との最初の接点となる彼らの検診はしかし、その多さゆえに、必然的に「広く浅く」なり、「詳しくはミンスクの病院で」という言葉で終わることが多い。
それは、医師としてやり切れないことだと思う。「あの患者、その後どうなっただろう」という懸念が積み重なっていくにつれ「もう少し、深い検診を」という想いは自ずと強くなる。
彼らの検診では、エコーによる画像診断しかできなかった。画像に映るガン細胞かもしれない黒い影。それを直接採取して、診断できれば・・・
そんな彼らの近隣、車で3時間ほど離れたブレスト州ストーリンに、その場での吸引刺穿を行い、細胞を採取できる日本の検診団が訪れたのは、幸運な出来事だった。
まずアルツール医師らは、広域に及ぶ彼らの検診で見つけだした甲状腺ガンの可能性の高い患者に、日本の医師による検診を受けさせた。そして、これによりアルツール医師らの広範囲に及ぶ検診と、日本の医師による精度の高い検診が融合し、検診で甲状腺ガンが発見される率は急激に高まったのである。
同時にそこは、彼ら2人にとって最も必要とする技術、吸引刺穿と細胞診を学ぶための場となった。
学んだ技術をすぐに活かせる状況が、その習得の情熱と速度を速めるのだろう。アルツール医師とウラジミール医師は次々と技術を覚え、現場で実践できるようになっていった。
そして・・・
5カ年計画の最後となる第10回目の検診にも、当然彼ら2人は参加する予定にしており、100名近い患者に検診を受けるよう指示していた。
が、第10回検診は、中止となる。指示した全ての患者に、その連絡は行き渡らず、病院には検診を希望する患者さんが集まってしまうことに。
それでも2人の医師は、うろたえることはなかった。なぜなら、自分たちの手で検診を行うことができたから。
そこに集まった患者たちへの検診は、すぐに行われた。黙々と、それは深夜まで及んだという。
私はアルツールに聞いてみた。「もう一人でも大丈夫なんですね」
すると、アルツールは、「いや」と首を振る。「まだ学びたいことが、たくさんあります。はやく日本の医師がベラルーシに来れるようになることを祈っています」
そう語るアルツールの隣では、これから甲状腺検診に取り組む年若き医師が、真剣に学んでいた。
教わりながらいつしか教える立場へ。向学心に溢れる医者が多いベラルーシは日本の技術を吸収する土壌がある。
厳しいベラルーシの医療事情
しかし、その一方でベラルーシ国内の医療事情は厳しい。
国立再教育センターで医療技術の向上に取り組むラリサ教授は、「経済的問題により、医療面の質が下がっています。若い医師たちを教育するための資材などが不足しています」と語る。さらに、甲状腺ガンの手術を受けた患者が常に必要としているホルモン剤も、継続的に供給されず時期的には不足することもあり、また医師が日常的に必要とする器具も不足しているという。
実際、アルツール医師らは、採取した細胞を保存するスライドグラスを充分に持っておらず、ガラス板を切ったもので代用していた。
その他にも、エコーを扱う際に必要なゼリーや、採取した細胞を染色する染色液など、どれも慢性的に不足しており、日本の検診団が持参した物資の残りを少しずつ使っているようだった。
せっかく修得した吸引刺穿の技術も、こうした基本的な器具がなければ活かせない。
「現地の医師が安心して検診を行える環境づくりも重要になってくる」という山田さんの指摘を聞きながら、私は、検診が新たな段階に入りつつあることを感じていた。日本の医師が現地で検診を行うだけで精一杯だった5年前には、そんな発想は思い浮かびもしなかった。その新たな課題は技術が確実に伝わっていることを示す仕事と言えないだろうか?
次回からは、ブレスト内分泌診療所という新たな拠点において、実施される移動検診。これまで行ってきたストーリンの患者もフォローしながら、それはミンスク、ストーリン、ブレストをつなぐ活動となる。線から面へ。少しずつ、しかし確実に、移動検診によるつながりは広がっていく。
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エコーで診察するアルツール医師 |
ブレストでの検診風景 |
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検診を受ける患者さん |
検診を行うアルツール医師 |
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アルツール医師に検診を学ぶ若い医師 |
検診は深夜まで行われた |
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