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チェルノブイリ通信 No.69 (1)
2007年4月26日発行
・癌早期発見・早期治療のもう一歩先に…
アリョーシャと過ごした2日間
チェルノブイリ、そこに在る真実
福岡教育大学での講演会報告
活動報告会レポート  

癌早期発見・早期治療のもう一歩先に…
チェルノブイリ被災女性が日本で初めて甲状腺内視鏡手術を受ける

 1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故による被曝が原因で、汚染地では今でも多くの甲状腺癌患者が見つかっている。ベラルーシにおける従来通りの甲状腺癌の手術では、頚部(首のあたり)をU字型に切開し、病巣部を摘出し縫合するため、術後、頚部に手術痕が残る。甲状腺疾患患者の75%は女性。襟付きのブラウスやタートルネックのセーターを着ない限りどうしても人の目に見えてしまう傷痕は、特に若いベラルーシ女性の心に、一生癒えない傷を残している。
 ブレスト州での検診に、1999年からボランティアで参加して下さっている日本医科大学の清水一雄先生(外科学講座主任教授・内分泌外科部長)は、出血を最小限にとどめ、術後、手術痕の残らない甲状腺の内視鏡手術を300例以上施行している専門医でもある。今年2月18日〜3月3日まで、昨年秋におけるチェルノブイリ医療支援ネットワークの検診で見つかった若い女性患者を日本に招き、日本医科大で内視鏡手術が実施された。

報告  寺嶋 悠(チェルノブイリ医療支援ネットワーク理事)

アリョーシャ
清水先生の診察を受けるアリョーシャ

■検診で見つかったアリョーシャのガン

 昨年11月の検診団派遣は、主にブレスト州立内分泌診療所、ストーリン地区中央病院での検診を実施した。どちらも我々の10年にわたる現地パートナーであるブレスト州立悪性腫瘍病院・内分泌診療所の協力で実施し、ブレストでは50人中7人に、ストーリンでは54人中6人に、乳頭癌(甲状腺癌の一種)の疑われる患者が見つかった。

 アリョーシャ・スベヤトーシク(20)はその時に検診を受けた一人。清水医師と地元の医師との合同検診で甲状腺右葉上部に1cm弱の乳頭癌が見つかった。

 アリョーシャは、原発から240キロ離れたブレスト州ピンスク地区で、1986年10月20日に生まれた。義務教育を終えて専門学校に進み、卒業後は地元の工場で働いている。

 アリョーシャは事故後に母親が妊娠中に胎内被曝をして生まれた、被曝二世の一人である。チェルブイリ原発事故当時、妊娠3ヶ月だったアリョーシャの母は1グレイ(日本での自然界からの放射線量は年間1ミリグレイ程度であり、その千倍の数値)の被曝をした。ピンスク地区の中でも高い被曝量になる。父(51)、母(47)、姉 (27)、兄(26)がいるが、今まで家族に甲状腺の病気が出たことはなかったと言う。

 昨年9月、ブレスト州立悪性腫瘍病院・内分泌診療所の国際赤十字連盟移動検診チームがアリョーシャの働く職場で検診を行った。アリョーシャもこの検診を受けて、初めて自分の甲状腺に何か異常があることを知らされた。すぐにブレストの移動検診チームの拠点である州立内分泌診療所で吸引穿刺を施行されたが、採取した細胞が少なく診断することができなかった。その後、昨年11月の現地医師らとの合同検診の際、本人の希望もあり、ブレスト州立内分泌診療所で再検をすることとなった。清水医師と渡會泰彦臨床検査技師(日本医科大学付属病院病理部)により、超音波検査・吸引穿刺が施行され、その結果甲状腺右葉上部の乳頭癌と診断された。腫瘍は8oであり、内視鏡手術の適応になることが確認された。

 通常であれば、ここで癌と診断された患者は、ブレスト州立病院、ミンスク悪性臨床腫瘍病院との間で連携し、診断結果を元にできるだけ早く手術を受けることになるが、ベラルーシでの内視鏡手術の導入を願っていた清水医師は、アリョーシャに日本での手術を勧めた。

■女性のために傷跡の残らない手術を

 毎年秋の検診団派遣では、検診だけではなく、若い医師たちを育てるために現地医療機関とともに医学シンポジウムを開催している。全国からシンポジウムに集まる甲状腺の専門医は、日本とベラルーシの最新の甲状腺ガンの診断・治療技術などを学ぶ。

 ベラルーシにおいて内視鏡手術は、胆石など一部の腹部の手術で行われているが、甲状腺の手術では行われていない。甲状腺ガンの手術を内視鏡を使って実施するには、極めて高価な超音波メスの他、周辺医療材器が必要で、また同時に高い医療技術が必要になる。超音波メスは日本では普及しているが、残念ながらベラルーシでは州立病院のみならず、大きな総合病院においても、そのような最新医療材器を設置しているところはほとんどない状況である。甲状腺の周りには声帯にかかわる反回神経や血管が走り、一つ間違えば声が出なくなったり大出血につながるため、高い医療技術が求められる。

 医学シンポジウムでの清水医師による甲状腺の内視鏡手術の講義は、参加していた医師たちから多くの質問を受けるほど高い関心を呼んだ。しかし、医療現場の状況、専門医の育成などの問題があり、なかなか導入には至っていない。

 出血も少ない上(今回の日本医科大の手術においては、無血手術と言えるくらい出血が認められなかった)、手術後の快復が早く、しかも手術痕のほとんど残らない内視鏡手術が広まることで、チェルノブイリ被災者にとって手術法の選択肢が増えることになる。手術を安心して行える現場の医療技術さえ整えば、若い女性患者は喜んで内視鏡手術を希望し、精神的負担はぐっと減ることになるだろう。

 清水医師はそう確信し、日本医科大や清水医師の知人たちの資金的支援を得て、今年2月、主治医のアルツール・グリゴロビッチ医師(ブレスト州立内分泌診療所所長、過去2度にわたり研修のため来日したこともある)と共にアリョーシャを日本に招待し、チェルノブイリ被災者で初めてとなる甲状腺癌の内視鏡手術を行った。

■日本での手術とアリョーシャの笑顔

内視鏡手術
手術を行う清水医師

 日本医科大でのアリョーシャの手術は、全身麻酔をして3時間に及んだが、手術はすべて順調に進んだ。病室に戻り麻酔が醒めると、すぐに担当の看護士に自分の手鏡を取ってくれるよう頼んだ。鏡を見て頚部に手術痕のないことを確かめると、小さくうなずき微笑んだ。

 また関係者を驚かせたのは、手術当日の夜からトイレに一人で行けるようになり、翌日からは外出もできるようになるという快復の早さだった。従来の手術法では、どうしても快復に時間がかかる。それに比べて内視鏡手術では、快復が早いというメリットもある。

 「最初は少し不安だったけど、出発前、母に『心配しなくていい、なにもかもうまくいくから』と励まされ、主治医のアルツール先生も付き添ってくれて、安心して手術を受けることができたわ。」
 手術後、アリョーシャは笑顔でそう話した。

 「家族に甲状腺の手術を受けた人はいないけど、甲状腺癌の手術を受けた21歳になる友達がいるの。一度手術をした後に再発して、2つ手術痕が残ることになってしまった。彼女が時々、傷のことを気にして泣いているのを私は見てきたから、日本に行くと傷跡が残らないと聞いていくことに決めたの。」

 アリョーシャの首元には、左右の鎖骨の部分に小さく傷跡が残っている。襟元が開いた服を着てもちょうど隠れる位置になる。ベラルーシでこういう手術が広まれば、きっと多くの人が希望すると思う、とアリョーシャは笑顔で付け加えた。

アリョーシャ
術後、傷痕を確認するアリョーシャ

■若い被曝世代の支援を

 「この手術をベラルーシで広めるためには、相互の医学シンポジウム、専門家の研修、最新の医療機器の充実の3つが、将来的に必要だと考えています。」

 今回主治医として同行したアルツール医師も、手術には最初から最後まで立ち会った。州立病院における腹部の内視鏡手術の存在しか知らないアルツール医師にとっても、貴重な経験となった。アルツール医師自身は内分泌の内科医であり、外科手術に携わることは日常的にはないが、腹部の内視鏡手術の技術を有する現地の外科医に甲状腺の内視鏡手術のノウハウを伝えたい。アルツール医師はそう話す。

アルツール医師
手術に立ち会ったアルツール医師

 放射能による被曝の影響の中でも、甲状腺癌は時間が経ってから発病することが多くある。その被曝による甲状腺癌の発病率は、事故当時0歳〜6歳だった子どもたちに最も高いことが分かってきている。つまり、現在20〜26歳を迎えている世代が、今後癌になる可能性が高いと言われており、継続的なモニタリングが必要となる。

 この世代のうちでも特に女性は、結婚、妊娠、出産を通じ、女性ホルモンの分泌にも関わる甲状腺の正常な機能がもっとも必要となる時期を迎えている。今回、胎内被曝をしたという若い女性患者を取材し、私自身、事故から21年目というものがいかに短い期間でしかないかを強く感じた。また、超音波メスの他、最新の医療材器などの支援や、専門医の育成のための研修の必要性についても今後、チェルノブイリ医療支援ネットワークの検討課題の一つとして考えていきたい。

 2007年は、1997年1月にストーリン地区で始めた甲状腺癌検診から10年の節目に当たる。この取り組みから、現地関係者と共に、これまで分からなかった多くの事実も分かり、ブレスト州を中心として、甲状腺癌早期発見のための診断技術は格段に向上しつつある。一方で、特に外科医の手術の現場では、手術法の向上についてまだまだ課題が残されている。現在、ブレスト州立病院やミンスク臨床悪性腫瘍病院において、手術現場での研修の実現へ向けて、現地の医療関係者との調整を進めているところである。

 次回検診では、アリョーシャのその後の経過を再度確認し、今回の内視鏡手術の報告と、この10年間の歩みを現地医療関係者と整理するため、医学シンポジウムをブレスト市にて開催する予定である。

 今回のアリョーシャたちの招待は、日本医科大やみずほ製薬などの資金的バックアップによって支えられた。現地での検診を中心に取り組む私たちNPOにとって、こういった形で大学や企業など、善意ある他の機関から協力や支援を受け、連携できることはうれしいことでもある。チェルノブイリ医療支援ネットワークの力だけではカバーできないことも、他の機関に支えてもらえることで、結果的に現地の被災者を救うことへとつながれば、これ以上のことはない。

 さまざまな方の善意を結びつけながら、会員の皆さんとともに今後も被災者の命を救うため支援活動を続けていきたい。

 
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